カテゴリー「宗教」の5件の記事

2016/02/10

太陽暦に「月」は要るのか?

一年は52週間と1または2日

現代に約30日の長さの月を使い続ける利点がわからない。
週を単位に生活し、年毎の変動をなくしたら楽になるのではないか。

 

経緯

  旧正月。太陰暦と太陰太陽暦は月の暦だから、月を期間として日常使うのは当然。   だが、太陽暦にまで「月」は要るんだろうか? 月を使っているがために苦労を背負い込む場面が多くて、気になる。曰く

 

       
  1. 職場にて:       
    • 二月は短いから急いで
    • 今月は給料日が日曜だから
    • 期末が金曜だから
    • あーあ、新年度が始まったと思ったら次の日は休みだ       
       
  2. 学校にて:       
    • 今学期は終業式が月曜でもったいない
    • 金曜が始業式なんて
    • 今年は2/1が日曜だから、A校とB校を併願できる       
     

  太陰太陽暦なら月の長さは29か30日に決まっているが、ローマ暦は28-31日と振幅を拡げられたまま現代まで来ていて、それに振り回されている。

 

現代の生活

  現代の生活は、週を基本としていて、月に依存して動いている部分をあまり思いつかない。
  日本では給料や家賃が月払いで月賦が一般的だけれど、それは適当な数の週を単位とすれば充分ではないか?
  口座引落が広く使われているので、月給が週給になり月家賃が週家賃になっても、金融機関以外には困るところはあまりなさそうに思える。

  経済が (四半期) 三箇月を単位として動いているところはある。それは扱いやすい長さなんだろう。そこは、13週を使えばちょうどよさそうに思える。  

  
    1 quarter * 13 week = 52 week = 364 day
  

    年によって1, 2日の余りがあってもいいだろう。

 

どう使うか

  では、どのように暦を使うか。

毎年同じ曜日から始まり、年末に平年は1日、閏年は2日の特別な休みがあるようにすればよいのではないだろうか。
  どの曜日から始めるかが争いの元になりそうではあるが、どの宗教でも安息日でない日に始めるのでは?

いや、宗教上は曜日が必要で、それを変えることには抵抗もあるだろう。
  7日周期の週は現代人の生活に根差しているから、宗教週とは独立に番号で生活週の曜日をきめれば、異なる宗教の間で公平に思える。

週を基本にするなら、年は第1週1曜日から始まり、first quarterが第13週7曜日まで、second quarterが第14週1曜日から始まり...年末は第52週7曜日の後に、1か2日の特別休日がある。

 

学事暦

  そう決めれば、学校の暦は楽になりそうだ。例えば、毎学期1曜に始まって5曜に終る。
  祝日問題は別にあるが、それとて学校では月ではなく週に依存する部分が問題なのだから、毎年同じ1曜が祝日と決まっていた方が、扱いやすいのではないか?

 

困るところ

  月日で決まっている祝日の行先には困るだろう。  
  だが、年の初めは太陽暦を採用しているRoman Catholicに合せるのが現代世界の現実との齟齬が小さくなりそうだ。

日本では、例えば建国記念日は2/11だったのだから、年の42日目、つまり第6週7曜に読み替えれば問題なさそうだ。

 

結局

  ....と、現代でも月 (month) を使っているのは、昔の暦へのNostalgia以上のものでないと思えて仕方ないのだが、どうだろうか。

追記

(2016/02/11)

こういう記事があった:

月をやめよう

生活週を導入して宗教週と分けようという発想は、この記事にはなかった。

 週はどうでしょうか2001年1月1日は月曜日でした。2002年1月1日は火曜日です。毎年の新年が第一日が同じ曜日になるように考えた人もいますが、52週=364日となり、その場合は「曜日のない日」か「うるう曜」を1年に1日ないしは2日作らなければならないので、現実的ではありません。これは慣習として使い続けなければならないでしょう。  改暦によって同じ日が別の日付になったことはありますが、七曜は一度もその順が変わったことはありません。

2013/08/28

プールの祈り

近所のプールでは、監視台に座っている監視員が交替する時に儀式がある。前の監視員が異状のないことを確認してから、後任に引き継ぐ。

やっていることが確認であることは想像できるのだが、何度見ても、それが何かの祈りのように見えてしょうがない。

監視台からプール面を右から左へおよそ 30°ずつ確認して行くのだが、その時に手刀を切るのである。指差確認の方が違和感が小さいだろうと思うのだが、これが手刀になると、祈っているように感じられてならない。

プール面を確認した後、上を仰いでさらに数回手刀。これは、地震で天井が落ちたプールがあったことに対する追加の確認作業なのだろう。そういう意味付けは考えられるのだが、天に祈っているように思えてしまう。

このプールないし自治体内のプールでの習慣だろうと思っていたのだが、隣の自治体のプールに足を伸ばすことがあったら、同じ儀式が行われていた。
さらに遠くの民営化されたプールでは、そのような儀式はなかった。
どの範囲でこの「祈り」が行われているのか、興味がある。

2010/04/14

血液型

Twitter を眺めていたら、子供の血液型を調べるよう要求される医師の話が出ていた。国外の方もいらしたようなので、日本の血液型信仰事情を書いたりやり取りをした。

放っておけばそのまま流れて消えて行くのだが、それをまとめるサービスができているので、


というリストを作って記録しておいた。

「幼稚園入園のために血液型を検査して下さい」とか「いまどきのピンクや空色のランドセルの内側にも血液型書くとこがあります」とか。いや、後者には悪意はないのかも知れないが、日本の血液型信仰は非常に強いという認識を新たにした。

2009/08/05

庚申塔

K1

普段通らない道を通ったら、傍らに庚申塔があった。

都電の庚申塚停留所   (「駅」だそうだ。電停はもはや死語か...) は知っているが、こんな身近に庚申塔があるとは思わなかった。どうやら、農業用水の橋のたもとに立っていたらしい。ここから遊歩道があるのだが、暗渠 (あんきょ。これも死語か?) となった用水なのだろう。

Wikipedia を読んでいたら、道教にまつわる話がいろいろ出てきて面白い。猿田彦も、庚申の祭神なのか。三尸虫というのを見てみたい。七夕も道教が関係するようだ。

2009/08/02

三門

某宗派の本山にて。

S1

S2

S3

中の写真は屋根が見えないと思うが、夜の三門。仁王様は、一日中見ておられる。