カテゴリー「教育」の16件の記事

2016/04/04

読み方を教えない虐待

久しぶりに弦楽四重奏を始めた。

Quartet

初練習でのこと、四人のうち三人は大学の同期生でおよそ様子がわかっているが、ビオラだけ同期の都合が付かず、後輩に頼んで初顔合せ。ビオラはとても上手で、曲のこともよくわかっていた。スコアが頭に入っている感じで、安心感がある。

練習後に四人で話した。学生の時に一度だけ管弦楽の演奏旅行に一緒に行ったことがあるが、その時はバイオリンであった。ビオラはここ三年ほどとのこと。バイオリンは単独で聴いたことがないが、上手いに違いない。ただし、楽譜を読むのに苦労しているということだった。

珍しいことではないのだが、バイオリンの人の中に、とても上手だが楽譜が native language になっていないように思える人がいる。なので驚くことではないのだが、その点で今でも苦労しているという話だった。

驚いたのは、ビオラの方。ビオラはバイオリンとは違う音部記号、アルト記号を使うので、ト音記号から来た人もヘ音記号から来た人も、読み方を新たに覚える必要がある。ならば、バイオリンで苦労した人は新しいアルト記号ではそこを克服できるだろうと期待した。ところが、ビオラの新しい音部記号でも、やはり苦労しているのだそうだ。最初に楽譜を読むことを身に付けなかったのが、second language でも尾を引いているようだ。

これは音楽に限らないことのような気がした。話し言葉を耳から覚えるのは母語では当たり前のことだけれど、読み書きは大人の介入が必要。小学校で習えるから問題になることは学習障碍以外ではあまりなさそうだけれど、もし教えなかったらそれは大変な虐待である。

これは、第二言語以降でも同じことだと思う。その言語環境に抛り込まれれば話し言葉は身につくけれど、読み書きには努力が必要。日本の英語教育は、長い間その逆をやってきて話し言葉を身につける機会を与えないことが多かったわけだけれど、読み書きを先に叩き込んであるので、その言語の環境に抛り込まれたあとは有利であると感じている。

今、始まろうとしている英語の早期教育がどのような方針なのか把握できていないのだが、この「虐待」に当たらないことを強く願う。

2016/03/08

指導者を得ること

専門家の指導を仰げばよいのに、と思うことが重なった。

 

音楽

楽器

楽器を始める時に専門家の指導を仰ぐのは、比較的多くの人が当然のことと受け入れているように思う。それは子供の時に始める場合に限られるのかも知れない。

就職してから出逢った中には独学でチェロを始めたという人もいて、驚いた。楽譜が読めて教本があれば、それで始められると思うのかも知れない。

しかし、ほんの些細なことに思えて他人に指摘されるまで気がつかないことがどうしてもあるし、今の自分の技術水準で特に足りないのがどこかを指摘してもらうことも、とても有効だと思う。今からでも習えばずっとよくなるのに、と思うことが多い。

 

合奏

自分が中学で弦楽器を始めて以来、管弦楽で弾いてみたいと思っていたが、その機会は大学までなかった。

中高の間は部の活動で、楽器は小さな合奏、最大でBrandenburg協奏曲の四番程度のものを弾き、主には四部合唱をやっていた。合唱は音大から非常勤でいらしていた先生に指導して頂いたが、楽器は足りないパートを卒業した先輩に頼んでいたので意見をもらうことはあったものの合奏全体を見通して指導してもらったことはほとんどなかった。合唱で受けた指導は、その後の器楽にも役立っているが、合奏経験は「この曲を弾いたことがある」に留まっている。

 

管弦楽

大学では管弦楽団に所属したので、全体合奏も弦楽器だけの「分奏」も、専門家に指導して頂いた。各自、楽器を専門家に習うことが参加の条件になっていて、唯一自力でやっていたのは同じ楽器の「パート」の中の練習だった。それも、時々は専門家に見て頂く機会があった。

同じことを何度も言われて腑甲斐ないと思ったところも多々あるけれど、当時受けた基礎的な訓練は有効だった。専門家に指揮してもらって得られるものと別の次元で、糧になっている。

 

室内楽

一方、管弦楽団の中で有志で室内楽 (最低二人、主に三から五人、多いもので八人程度の合奏) をやる機会がよくあった。合宿の宴会前とか学園祭とか。それを専門家に見てもらう習慣がなかった。学生ゆえ小人数でお願いするのは負担が大きかっただろうとも思うが、先輩に見てもらうだけでもずいぶん違ったのではないかと今にして思う。もったいない時間の使い方だった。

就職してからは職場の管弦楽団に所属し、そこでも室内楽をやった。メンバーに経営者だった方 (要職を退任されてから楽器を再開されたのだと思う がいて、「四重奏やるならレッスン受けよう」という言葉が自然に出てきた。

率直に言って、それまで考えたことのない提案で面喰った。しかし、レッスンは濃密な時間で、とても得るところが多かった。我々の側は、決して譜面通り弾けていないし、言われたことがすぐできるようになる訳でもない。でも、言われたことは納得できたし、その後の指針になった。

後から考えて、足りないところに外の力を導入しようと考えられるのが経営者の視点なのだな、と思った。大学で同期だった友人と室内楽を続けていたら、そのままずるずるとやっていたのではないかと思う。

 

写真

写真を撮るのは好きだったが、デジタルの時代になって「シャッター速度を選べるコンパクトカメラはないか?」と思った程度で、「独学」すらせずに撮っていた。その頃の写真を見ると、日の丸構図の山。

SNSの時代になって写真家と交流ができ、話を漏れ聞いている内に、「三分割法」という言葉すら知らないことに問題を感じた。まず本を読んで基礎知識を仕入れた。

SNSに撮った写真を載せてコメントを頂ける機会があり、視野が広くなった。

カメラを買うにもアドバイスをもらったが、買ってからは、そのメーカーの講座に参加できるようになり、様々な撮ったことのない分野を経験することができた。

そして、去年は写真家ご本人の写真教室に参加することができた。その場でもらったアドバイスは数点だけれど、アドバイス前後で違う写真を撮っているのが目に見える。

きっかけになったこと

この記事を見たのが、この記事を書くきっかけになった。

体験に基づく否定を信ぜよ         http://lord.takerunba.com/entry/2016/02/25/004528

> 特別なことに経験がある人の否定的な意見は信ずるに足る。

否定的なことに限らない。先駆者があるなら、まずそこから得られるだけのことを学んで、その先を目指したらよいと思う。

 

これもその一例 http://diamond.jp/articles/-/86961

 

先が短いと感じる年齢になり、時間を有効に使いたいと強く思うようになった。物より知識に投資したい。

車輪を発明するのは楽しいかも知れないが、それをする時間の余裕は自分にはもうない。誰かが作ってくれた車輪があるなら、それを使って何ができるかを考えたいのである。

 

2012/08/02

瞬時値と積分値

瞬時値とその積分値を区別できていない新聞記事が散見、いや頻出していると思う。電力 (W) と電力量 (Wh) しかり、毎時シーベルトとシーベルトしかり。
積分の概念を持っていない人は少いと思うのだが、積分演算だけに特化した受験教育のせいで、概念自体を一般化できずにいるのではないかと思えてならない。

・蛇口から出る水の量 (リットル/s) とバケツに溜った水の量 (リットル)
・速度 (km/h) と走行距離 (km)
・飯を食べる速さ (一膳/分) と一食に食べる飯の量 (膳)

それが区別できない人が多数派とは、どうしても思えない。

さまざまな関数の積分計算ができることはずっと優先度が低くて、大事なのは、瞬時値と積分値の関係を抽象的に理解できていることだと思う。

2012/03/01

蚕の飼育と鶏の孵卵

小学校時代、理科で蚕を飼った。三年生くらいだったと思うが、校庭の桑の木から葉を取ってきて、各組の教室で育て、菓子の空箱に繭を作らせた。成虫が羽化し、夏休み前に卵も産みつけた。それを冷蔵保存すれば翌年また孵化せられるということだったが、冷蔵しなかった卵は、秋になっても負荷しなかった。 ずっと後年になるまで、それは日本の小学校の当り前の光景だと思っていた。一年生の朝顔が日本全国で可能なのか確かめていないが、それと同程度には広い範囲で。 しかし、同じ東京出身でも蚕を飼ったことのない人にしか会うことがなく、稀な経験だったのを知った。 今、出身小学校のサイトを見ると、

22年6月
3年生の教室では、カイコを飼育しています。
黒い小さな幼虫が成長して、白くなりました。
休み時間には大人気!
男の子も女の子も手に乗せて可愛がっています。
毎日、校庭の桑の木から新鮮な葉を取ってきてあげています。

と今も蚕を飼育しているようだ。元々桑畑だったところに小学校を作り (戦後 8 年で開校)、校庭に桑の木があったからできたことだったか。 一方、五六年生の時には、鶏の卵を孵卵器で孵した。トラブルにも見舞われたが、無事に孵った雛がいたのを覚えている。 これも、一般的な体験ではなかったのだろうか? 牛乳瓶におが屑を詰めて、榎茸を生やそうとしたこともあった。これはほとんど失敗したので、子供心に「一般的なことではないのだろうな」と思ったものだ。 蚕は土地柄だったとして、あとの二つは、理科の先生が積極的だったから経験できたことだったろうか?

2012/02/14

手打ち饂飩

今日は子供がクラスで饂飩打ち。
粉を捏ねるところから始め、一人ずつビニール袋に入れて踏み、伸ばして切った。
切るところと味付けは、保護者が班に一人入って見たそうだ。

先生は、讃岐に一週間滞在して食べ歩き、学んできたと言う。午前中使っての饂飩打ち、子供は真剣にやって堪能し、持ち帰った分を分けて生醤油で食べた。

踏み疲れて脚がパンパンだと言っているが、自分達で打った饂飩。よい経験であった。

2012/01/19

重音の音程

子供のバイオリン、半年ほど前から重音の音階の練習を始めていた。三度、六度、オクターブ。初めの内は、何の音を弾いているかわかればよいくらいで、音程については指摘しないでいた。レッスンでも指摘されることもなく。
しかし、発表会の曲でオクターブが気になりだし、音階練習でもオクターブだけは直そうと思ったのが十二月頃。年末に発表会が終って音階の練習を進めるようになって、ついにレッスンで音程を指摘されるに至った。
そこで今週は、重音一つずつ音程を直しながら進んだのだが、子供の方もだいぶ自覚が出てきたようだ。こちらは、たとえば A-Cis の重音を聴いて、A が高いとか Cis を少し上げるとか指摘するのだが、子供は子供。A を開放弦に合せて取り、それに Cis を合せようとしていた。こちらは前に弾いた音との相対的なことしか言えないので、信用できないと思ったのかも知れない。

ともかく、自分で音程を合せようという意識ができてくれれば、ありがたい。あとは自分で合せてくれるかと期待している。

2012/01/16

弾かないで!

子供がバイオリンを始めてもうすぐ四年。最初の内は全く一緒に弾いていたし、ピアノを付ける以外は一緒に弾くことが多かった。
最近は、最初だけ一緒に弾き、だんだん減らすようにしていたのだが、私が楽器を下ろしていると、「一緒に弾いて」と目で訴えかけられることが多かった。

それが、今日初めて、「弾かないで!」と言われた。記念すべき日だ。
もっとも、そう言われたのはスケールで、Sevcik では「一緒に弾いて」と訴えられたのだが。

2010/11/16

入試の始まり

「お受験」は特別なことと考えられていると思う。早実の初等部などは、創立時点から入試が当然のことと考えていただろう。しかし、入試を行っている全ての学校・園が、最初からそうであった訳ではないのではないか。
最初は入試がなかったが、ある時点で入試を始めざるを得なくなったというところが少くないのではないかと、想像する。

11 月は、幼稚園の入園手続の季節である。子供はその昔、ある本山の附属幼稚園に入った。バス通園ではあったが、近所の幼稚園と言ってよいと思う。
しかしこの幼稚園、その地域では人気があって、志願者が募集人数を上回っていた。子供の年には二倍までは行かなかったと思うが、願書配布日に 1.5 倍程度は集まったように思う。

問題は、この園に入試がないことなのである。ならばどうやって入園者を選ぶか。
先着順ではない。受付日より前に並ぶことを禁じている。受付開始時に、園に向う坂の下に志願者が集められ、そこを園長と同時に登り始めて園に並んだ順、という選別なのだ。
園長は高齢だし走る訳でもないので、坂を走って登れば早く到着することはできる。しかし、そういう抜け駆けは仏教の教えに反するという、無言の圧力を感じた。
子供は幸い入園できたのだが、ルールの不明な選別方法で振り落とされ、割り切れない思いをした方も多かったはずである。

このような場合には、入試をすべきなのではないだろうか。年によって、入試があったりなかったりしても構わないと思う。選別を行う可能性だけ明示しておけば。
特に幼稚園の場合、客観的な選別ができるわけがないのだ。年齢に 1.5 倍もの開きがある訳だし、筆記試験で点数をつけることに、意味を感じられないだろう。例えば国籍など、選別の際に「使わない」指標を明示しておけばよく、あとは主観的に選ぶので構わないと思う。
園バスがあると話が複雑になるが、どうしても客観的に選びたければ園からの距離で選別したってよいと思うのだ。
とにかく、志願者が受入可能人数を上回っているのに選別機会を設けないことが、大問題だと思った。


....と思って、その幼稚園のページを見たら、メニューに「受験生の皆様へ」とあった。慌ててクリックしたら、幼稚園が付属する短大の受験生のことだった。
この園で、子供はよい教育を受けたと思う。しかし、この選別体制を放置していることは、問題だと思っている。

2009/07/05

琴の会の児童館

先日、琴と一緒に弾いた児童館。

J

廃園になった市立幼稚園で、平日のみ開放されている。今日はひっそり。

2009/07/02

児童館で琴とアンサンブル

児童館の「おたのしみコンサート」で、筝とチェロを合せてきた。

  • 一緒に歌おう
      みんなの広場
  • 楽器紹介
      琴 -- 六段
      チェロ -- pizzicato で犬のおまわりさん
            バッハの無伴奏を頭だけ
  • 演奏
      シューベルトの子守歌
      春の海 (少し省略)
  • 手遊び
      さかながはねた (楽器はお休み)
  • ペープサート
      ぞうさんの帽子
  • 一緒に歌おう
      さんぽ (となりのトトロ)

大盛況であった。市の広報にでも出たのか、今日この児童館の利用登録 (初回利用時だけすればよい) をした親子が十組以上あったそうだ。

スタッフによると、「いつもはみんなの広場を大声で歌う子が、今日は一番前で楽器に目が釘付け」だったそうである。本番後に、いつもは琴 を触らせてあげているそうだが、今日はチェロに触ってもらった。弓を握って音を出せるほどの年齢の子は一人だったが、弦をはじいて行った子は五人くらいいた。

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