カテゴリー「教育」の18件の記事

2018/04/30

廣田幸夫と Henriette Puig-Roget と渡辺逹

小学校の時に、近所の英語塾に週一時間だけ通っていた。その先生は YWCA と関係があったようで、一度御茶ノ水の支部 (?) に行ったことがある。

その先生には私の一年上の息子さんがおられて、後に私も通うことになる男子校に入られた。

一方、私は五歳の時にピアノを習い始めたが、初めて楽器というものを意識して魅力を感じさせてくれたのが、新八犬伝主題曲だった。

ここの pizzicato を聴いて「この楽器が好きだ」と思い、親にそれはコントラバスだと教えられた。今、聴き直してみると「違うか?」とも思うけれど、その時はコントラバスを弾きたいと思ったものだった。調べてみると、1973 年。四年生になった時に、コントラバスという楽器を知ったことになる。

おそらく、その後に音楽の授業で白鳥を聴いてチェロを知ったのだと思うが、その時にチェロを弾きたいと思うほどの魅力は感じていなかった気がする。

(新八犬伝書庫)

さて、そこへ英語塾の先生のお子さんから、その中学ではチェロが習える、という話が舞い込んできた。そこで、親に「チェロもコントラバスも仲間だ」と誘導された記憶がある。それは六年生になってからのことだったが、それを種に受験することになり、進学教室に通う身となった。

いざ受験となると、その私立校だけでなく国立の男子校も受けることになり、当初の志望はどこへやら第一志望は国立に転んだ。家の経済状態を心配したところは、あったかも知れないけれど。

そして、二月の受験。私立が先にあり合格。後の国立は一次は通ったが、二次の作文で落ちた。

(その作文は「美しいと思うもの」という題で書かされたのだが、後年、そこの出身者がその年の優秀作品を教えてくれて、それは敵わないと思った。その作品は、山に登ってご来光を迎える様子を描写したものだったと言う。自分が書いた作文があまりに子供っぽくて、思い出すのが嫌になった)

そうして国立に落ちたおかげで、晴れて四月からチェロを習うことができた。

学校にある楽器は四挺だけ。その年は希望者が多くて籤に外れ、最初から楽器を買わなければならなくなったが、親がそれは買ってくれると言った。私立に通わせるだけでも大変だっただろうによく出してくれたと思うが、Karl Höfner の中古の楽器が十八万だったか子供には天文学的に思える額、それに弓が三万八千円だったことの方を鮮明に覚えている。

そこでチェロを教えて下さったのが、廣田幸夫先生である。今そのお名前を探してみても、音楽家になった先輩お二人、樋口 隆一さんと茂木 新緑さんの profile にそのお名前があるのが引っ掛かるのがやっとだが、芸大の先生が非常勤で週に二日教えに来られていると聞いていた。火曜に中一を一学年六組それぞれ一時間と、土曜に高二の音楽選択者を三、四時間。

当時はこの学校には定年がないように聞いていたが、廣田先生は相当年配であるように思っていた。しかし、逆算してみると今の自分より僅かにお若かったことになる!(◎_◎;)

先生には、中一の間は週に一度十分間の休み時間だけレッスンを受け、二年生からは始業前にもう少し長く教えて頂いた。始業前に数人レッスンして頂いていたのに順番を決めた記憶がないのだが、冬は暗い時間に家を出て、中央線で夜明けを迎えて学校に着いてみると、先生が先にいらして燈油ストーブで部屋を暖めて下さっていて、申し訳ないと思いながら同じことを繰り返していた気がする。

先生に習ったのは、チェロと音楽部の活動としての男声合唱。音楽の授業でリコーダーは習ったが、それ以外には器楽を習ったことはなかった。オーケストラをやりたいと言ったことがあるが、それをやるには各楽器の先生を呼んできちんと習わなければいけない、その機は熟していないと言われたように思う。

せいぜい、初めて弾いた室内楽、モーツァルトのフルート四重奏を北軽井沢 (!) の合宿に持って行ったら、上の E の音をその時点で習っていた第四ポジションで取っていたパート譜に、運指を書いて下さった。第一と第四ポジションしか知らなかったのに、第二も第三も使った、全く「子供向け」ではないまともな運指だった。

高二の音楽の試験は自由選択曲で、弾いても歌ってもよかった。私は、チェロはいつもレッスンで弾いているのでそれを改めて授業の試験で弾こうと思いつかず、陸上部に居るピアノ弾きを捕まえてモーツァルトの二台のピアノのソナタを弾いた (「のだめ」は懐かしかった!) のだが、試験の後でぼそっと「チェロを弾いてくれなかったな」と言われて、初めて先生の心を知った。後悔先に立たず。楽器を二つ弾いていたための失敗であった。他のすべての場面で両方続けていてよかったと思ったのだが、この時ばかりは。

さて、私は卒業するまで廣田先生に習えたのだが、その後割とすぐに、先生は中高に教えに来ることができなくなった。後で音楽部の顧問だった先生に伺ったところによると、芸大の弦楽器科に海野さんを呼ぶ時にそのポストを空ける必要があり、廣田先生がソルフェージュ科に行かれることになったのだそうだ。生徒への説明は、芸大で教授になられるので、もう非常勤で来られなくなる、というものだったと聞く。

こちらは大学で管弦楽団に入ったが、そこでは各自の楽器の個人レッスンを受けることが入団の条件だった。その有難い (教育的な) 条件を満たすためもあり、積極的に個人レッスンにお宅に伺うことができた。中高時代、学期中は時間に制約があったから、大学に入ってからの方が濃密にレッスンを受けられた。

今調べると、カンダ・アンド・カンパニー の事件があったのが高三の冬なので、レッスンに行けずに悶悶としていたのが大学一年の時だったことになるが、吉田秀和の批判のおかげか、管弦楽団で肩身の狭い思いをしないで済む程度の時期にレッスンを再開して頂けたのだと思う。

その後、修士論文だったか博士論文だったかで忙しくなったあたりでレッスンをやめてしまったが、西武線で実家から四駅という地の利があり、同窓の管弦楽団員の中で一番多くレッスンに通ったと思う。

先生は、レッスン代を取って下さらなかった。それは奥様の意向だそうで、戦後の苦しい時代に教師を校内に住まわせてくれた学校に恩義を感じ、戦後三十年以上後の我々からも、卒業後であっても取って下さらなかった。

さて、ソルフェージュ科に行かれた先生から伺ったのが、Henriette Puig-Roget 先生のことである。

「ロジェ先生」と呼んでいらしたが、先生を芸大に呼んで来たのが自分の最大の功績である、と口癖のように言われていた。

中高に非常勤で来られなくなってからも音楽部の指導にはいらしていたのだが、その演奏会にロジェ先生も呼ばれたそうだ。

廣田先生が作曲科の先生に委嘱されたのだったか、詩篇の男声合唱を初演したと伺ったように思う。それを始めとする合唱曲を聴いてもらうのが主だったのだろうと想像するが、私にとっても大先輩の渡辺 さんのピアノを聴かれたロジェ先生が、「彼のピアノは立派だ」と言われたと、後年聞いた。

私が中高生の時にも一度、廣田先生と (渡辺) 逹さん達先輩で、シューマンのピアノ五重奏を弾かれたことがあった。OB が自然に演奏会に参加する音楽部だった。廣田先生の教え子が年に一人はいたから、器楽ではチェロが余る部だが、足りない楽器に OB を呼んでブランデンブルク協奏曲も 4, 5, 6 番は弾いたし、2 番は後輩が弾いた。ただし、2 番のトランペットはクラリネットが吹いたそうだ。

廣田先生は、一昨年の同窓会でお元気で、昨年もいらしたそうだがこちらが上を下への大騒ぎで出席できなかった。

逹さんは、2012 年に急逝され (訃報)、先生は大変嘆かれていた。もちろん、我々も落胆し、学校の食堂で開いた会は、卒業以来会っていなかった人にも沢山会った。

計算すると、14 年上の先輩ということになるが、音楽部の毎年二回の演奏会には必ず来られて各曲にコメントを下さった。そして、おそらく廣田先生が非常勤講師として来られなくなってから特に、音楽部の活動を支えて下さって、幅広い同窓生がお世話になった偉大な先輩だった。

亡くなる前年に吉祥寺で音楽部の同窓生の集まりを企画して下さり、そこで私はずいぶん久し振りに廣田先生と逹さんにお会いできたのだが、逹さんとはその時が最後になった。

廣田先生に何度も言われたことがある。音楽は職業とせず、趣味にしなさい、と。同じことを、大学の管弦楽団の指揮者二人からも、言われた。夢に見たことはあれど、とても自分の力の及ぶ世界とは思わなかったが。

一昨年お会いした時も、皆に向ってそのことに触れられ、ならなくてよかったでしょ?  と確認されていた。同窓には、守らなかった者も少なくないのだけれど。

先生が、どのようにして音楽学校を目指されたか、聞いたかも知れないが覚えていない。しかし、ご経験に基づいた信念だったのだろうと思っている。


 

廣田先生のお歳を正確に覚えていないが、一昨年九十歳は越えていらしたと思う。父よりも五年以上上の筈で大正のお生まれだと思う。音楽学校から戦争に取られて生還されたと伺った。

素晴らしい音楽の先生であると共に、偉大な教育者でいらっしゃった。

次の同窓会が開けてお会いできることを、祈っている。

 

2018/02/23

轍叉と轍査

1990 頃に既に「古典」と感じていた鉄道の信号技術の本があった。表題に確信がないが、二文字だった記憶があるので、「信号」だったか?  国鉄の内部の教科書だったかも知れない。

読み進めると、「てっさ」と「てっ査」という言葉が出てくる。意味から推測すると、轍叉と轍査だろうと推測できた。漢字なら一目瞭然だが、仮名書きと交ぜ書きでは暗号としか思えなかった。河豚じゃないんだから。

信号からは外れるが、鉄道分野には「き電」という言葉もあった。意味は feed power なのだが、これは字を思いつけなかった。古書に当たると、饋電だった。「饋」を辞書で引いたら、意味がよくわかった。こんな美しい字があるのに、それを使わずに交ぜ書きするとは。

(用例: き電線)

別の分野で、「爾後」と書けなかったのだろう「じ後」と書いた本も見たことがある。事後と「じ後」は違うと言いたいのだろうけれど、漢字を失ったら、意味がわからない。

この文字狩り、文革のような人的被害はないけれど、文化を破壊する力は侮れない。

2016/04/04

読み方を教えない虐待

久しぶりに弦楽四重奏を始めた。

Quartet

初練習でのこと、四人のうち三人は大学の同期生でおよそ様子がわかっているが、ビオラだけ同期の都合が付かず、後輩に頼んで初顔合せ。ビオラはとても上手で、曲のこともよくわかっていた。スコアが頭に入っている感じで、安心感がある。

練習後に四人で話した。学生の時に一度だけ管弦楽の演奏旅行に一緒に行ったことがあるが、その時はバイオリンであった。ビオラはここ三年ほどとのこと。バイオリンは単独で聴いたことがないが、上手いに違いない。ただし、楽譜を読むのに苦労しているということだった。

珍しいことではないのだが、バイオリンの人の中に、とても上手だが楽譜が native language になっていないように思える人がいる。なので驚くことではないのだが、その点で今でも苦労しているという話だった。

驚いたのは、ビオラの方。ビオラはバイオリンとは違う音部記号、アルト記号を使うので、ト音記号から来た人もヘ音記号から来た人も、読み方を新たに覚える必要がある。ならば、バイオリンで苦労した人は新しいアルト記号ではそこを克服できるだろうと期待した。ところが、ビオラの新しい音部記号でも、やはり苦労しているのだそうだ。最初に楽譜を読むことを身に付けなかったのが、second language でも尾を引いているようだ。

これは音楽に限らないことのような気がした。話し言葉を耳から覚えるのは母語では当たり前のことだけれど、読み書きは大人の介入が必要。小学校で習えるから問題になることは学習障碍以外ではあまりなさそうだけれど、もし教えなかったらそれは大変な虐待である。

これは、第二言語以降でも同じことだと思う。その言語環境に抛り込まれれば話し言葉は身につくけれど、読み書きには努力が必要。日本の英語教育は、長い間その逆をやってきて話し言葉を身につける機会を与えないことが多かったわけだけれど、読み書きを先に叩き込んであるので、その言語の環境に抛り込まれたあとは有利であると感じている。

今、始まろうとしている英語の早期教育がどのような方針なのか把握できていないのだが、この「虐待」に当たらないことを強く願う。

2016/03/08

指導者を得ること

専門家の指導を仰げばよいのに、と思うことが重なった。

 

音楽

楽器

楽器を始める時に専門家の指導を仰ぐのは、比較的多くの人が当然のことと受け入れているように思う。それは子供の時に始める場合に限られるのかも知れない。

就職してから出逢った中には独学でチェロを始めたという人もいて、驚いた。楽譜が読めて教本があれば、それで始められると思うのかも知れない。

しかし、ほんの些細なことに思えて他人に指摘されるまで気がつかないことがどうしてもあるし、今の自分の技術水準で特に足りないのがどこかを指摘してもらうことも、とても有効だと思う。今からでも習えばずっとよくなるのに、と思うことが多い。

 

合奏

自分が中学で弦楽器を始めて以来、管弦楽で弾いてみたいと思っていたが、その機会は大学までなかった。

中高の間は部の活動で、楽器は小さな合奏、最大でBrandenburg協奏曲の四番程度のものを弾き、主には四部合唱をやっていた。合唱は音大から非常勤でいらしていた先生に指導して頂いたが、楽器は足りないパートを卒業した先輩に頼んでいたので意見をもらうことはあったものの合奏全体を見通して指導してもらったことはほとんどなかった。合唱で受けた指導は、その後の器楽にも役立っているが、合奏経験は「この曲を弾いたことがある」に留まっている。

 

管弦楽

大学では管弦楽団に所属したので、全体合奏も弦楽器だけの「分奏」も、専門家に指導して頂いた。各自、楽器を専門家に習うことが参加の条件になっていて、唯一自力でやっていたのは同じ楽器の「パート」の中の練習だった。それも、時々は専門家に見て頂く機会があった。

同じことを何度も言われて腑甲斐ないと思ったところも多々あるけれど、当時受けた基礎的な訓練は有効だった。専門家に指揮してもらって得られるものと別の次元で、糧になっている。

 

室内楽

一方、管弦楽団の中で有志で室内楽 (最低二人、主に三から五人、多いもので八人程度の合奏) をやる機会がよくあった。合宿の宴会前とか学園祭とか。それを専門家に見てもらう習慣がなかった。学生ゆえ小人数でお願いするのは負担が大きかっただろうとも思うが、先輩に見てもらうだけでもずいぶん違ったのではないかと今にして思う。もったいない時間の使い方だった。

就職してからは職場の管弦楽団に所属し、そこでも室内楽をやった。メンバーに経営者だった方 (要職を退任されてから楽器を再開されたのだと思う がいて、「四重奏やるならレッスン受けよう」という言葉が自然に出てきた。

率直に言って、それまで考えたことのない提案で面喰った。しかし、レッスンは濃密な時間で、とても得るところが多かった。我々の側は、決して譜面通り弾けていないし、言われたことがすぐできるようになる訳でもない。でも、言われたことは納得できたし、その後の指針になった。

後から考えて、足りないところに外の力を導入しようと考えられるのが経営者の視点なのだな、と思った。大学で同期だった友人と室内楽を続けていたら、そのままずるずるとやっていたのではないかと思う。

 

写真

写真を撮るのは好きだったが、デジタルの時代になって「シャッター速度を選べるコンパクトカメラはないか?」と思った程度で、「独学」すらせずに撮っていた。その頃の写真を見ると、日の丸構図の山。

SNSの時代になって写真家と交流ができ、話を漏れ聞いている内に、「三分割法」という言葉すら知らないことに問題を感じた。まず本を読んで基礎知識を仕入れた。

SNSに撮った写真を載せてコメントを頂ける機会があり、視野が広くなった。

カメラを買うにもアドバイスをもらったが、買ってからは、そのメーカーの講座に参加できるようになり、様々な撮ったことのない分野を経験することができた。

そして、去年は写真家ご本人の写真教室に参加することができた。その場でもらったアドバイスは数点だけれど、アドバイス前後で違う写真を撮っているのが目に見える。

きっかけになったこと

この記事を見たのが、この記事を書くきっかけになった。

体験に基づく否定を信ぜよ         http://lord.takerunba.com/entry/2016/02/25/004528

> 特別なことに経験がある人の否定的な意見は信ずるに足る。

否定的なことに限らない。先駆者があるなら、まずそこから得られるだけのことを学んで、その先を目指したらよいと思う。

 

これもその一例 http://diamond.jp/articles/-/86961

 

先が短いと感じる年齢になり、時間を有効に使いたいと強く思うようになった。物より知識に投資したい。

車輪を発明するのは楽しいかも知れないが、それをする時間の余裕は自分にはもうない。誰かが作ってくれた車輪があるなら、それを使って何ができるかを考えたいのである。

 

2012/08/02

瞬時値と積分値

瞬時値とその積分値を区別できていない新聞記事が散見、いや頻出していると思う。電力 (W) と電力量 (Wh) しかり、毎時シーベルトとシーベルトしかり。
積分の概念を持っていない人は少いと思うのだが、積分演算だけに特化した受験教育のせいで、概念自体を一般化できずにいるのではないかと思えてならない。

・蛇口から出る水の量 (リットル/s) とバケツに溜った水の量 (リットル)
・速度 (km/h) と走行距離 (km)
・飯を食べる速さ (一膳/分) と一食に食べる飯の量 (膳)

それが区別できない人が多数派とは、どうしても思えない。

さまざまな関数の積分計算ができることはずっと優先度が低くて、大事なのは、瞬時値と積分値の関係を抽象的に理解できていることだと思う。

2012/03/01

蚕の飼育と鶏の孵卵

小学校時代、理科で蚕を飼った。三年生くらいだったと思うが、校庭の桑の木から葉を取ってきて、各組の教室で育て、菓子の空箱に繭を作らせた。成虫が羽化し、夏休み前に卵も産みつけた。それを冷蔵保存すれば翌年また孵化せられるということだったが、冷蔵しなかった卵は、秋になっても負荷しなかった。 ずっと後年になるまで、それは日本の小学校の当り前の光景だと思っていた。一年生の朝顔が日本全国で可能なのか確かめていないが、それと同程度には広い範囲で。 しかし、同じ東京出身でも蚕を飼ったことのない人にしか会うことがなく、稀な経験だったのを知った。 今、出身小学校のサイトを見ると、

22年6月
3年生の教室では、カイコを飼育しています。
黒い小さな幼虫が成長して、白くなりました。
休み時間には大人気!
男の子も女の子も手に乗せて可愛がっています。
毎日、校庭の桑の木から新鮮な葉を取ってきてあげています。

と今も蚕を飼育しているようだ。元々桑畑だったところに小学校を作り (戦後 8 年で開校)、校庭に桑の木があったからできたことだったか。 一方、五六年生の時には、鶏の卵を孵卵器で孵した。トラブルにも見舞われたが、無事に孵った雛がいたのを覚えている。 これも、一般的な体験ではなかったのだろうか? 牛乳瓶におが屑を詰めて、榎茸を生やそうとしたこともあった。これはほとんど失敗したので、子供心に「一般的なことではないのだろうな」と思ったものだ。 蚕は土地柄だったとして、あとの二つは、理科の先生が積極的だったから経験できたことだったろうか?

2012/02/14

手打ち饂飩

今日は子供がクラスで饂飩打ち。
粉を捏ねるところから始め、一人ずつビニール袋に入れて踏み、伸ばして切った。
切るところと味付けは、保護者が班に一人入って見たそうだ。

先生は、讃岐に一週間滞在して食べ歩き、学んできたと言う。午前中使っての饂飩打ち、子供は真剣にやって堪能し、持ち帰った分を分けて生醤油で食べた。

踏み疲れて脚がパンパンだと言っているが、自分達で打った饂飩。よい経験であった。

2012/01/19

重音の音程

子供のバイオリン、半年ほど前から重音の音階の練習を始めていた。三度、六度、オクターブ。初めの内は、何の音を弾いているかわかればよいくらいで、音程については指摘しないでいた。レッスンでも指摘されることもなく。
しかし、発表会の曲でオクターブが気になりだし、音階練習でもオクターブだけは直そうと思ったのが十二月頃。年末に発表会が終って音階の練習を進めるようになって、ついにレッスンで音程を指摘されるに至った。
そこで今週は、重音一つずつ音程を直しながら進んだのだが、子供の方もだいぶ自覚が出てきたようだ。こちらは、たとえば A-Cis の重音を聴いて、A が高いとか Cis を少し上げるとか指摘するのだが、子供は子供。A を開放弦に合せて取り、それに Cis を合せようとしていた。こちらは前に弾いた音との相対的なことしか言えないので、信用できないと思ったのかも知れない。

ともかく、自分で音程を合せようという意識ができてくれれば、ありがたい。あとは自分で合せてくれるかと期待している。

2012/01/16

弾かないで!

子供がバイオリンを始めてもうすぐ四年。最初の内は全く一緒に弾いていたし、ピアノを付ける以外は一緒に弾くことが多かった。
最近は、最初だけ一緒に弾き、だんだん減らすようにしていたのだが、私が楽器を下ろしていると、「一緒に弾いて」と目で訴えかけられることが多かった。

それが、今日初めて、「弾かないで!」と言われた。記念すべき日だ。
もっとも、そう言われたのはスケールで、Sevcik では「一緒に弾いて」と訴えられたのだが。

2010/11/16

入試の始まり

「お受験」は特別なことと考えられていると思う。早実の初等部などは、創立時点から入試が当然のことと考えていただろう。しかし、入試を行っている全ての学校・園が、最初からそうであった訳ではないのではないか。
最初は入試がなかったが、ある時点で入試を始めざるを得なくなったというところが少くないのではないかと、想像する。

11 月は、幼稚園の入園手続の季節である。子供はその昔、ある本山の附属幼稚園に入った。バス通園ではあったが、近所の幼稚園と言ってよいと思う。
しかしこの幼稚園、その地域では人気があって、志願者が募集人数を上回っていた。子供の年には二倍までは行かなかったと思うが、願書配布日に 1.5 倍程度は集まったように思う。

問題は、この園に入試がないことなのである。ならばどうやって入園者を選ぶか。
先着順ではない。受付日より前に並ぶことを禁じている。受付開始時に、園に向う坂の下に志願者が集められ、そこを園長と同時に登り始めて園に並んだ順、という選別なのだ。
園長は高齢だし走る訳でもないので、坂を走って登れば早く到着することはできる。しかし、そういう抜け駆けは仏教の教えに反するという、無言の圧力を感じた。
子供は幸い入園できたのだが、ルールの不明な選別方法で振り落とされ、割り切れない思いをした方も多かったはずである。

このような場合には、入試をすべきなのではないだろうか。年によって、入試があったりなかったりしても構わないと思う。選別を行う可能性だけ明示しておけば。
特に幼稚園の場合、客観的な選別ができるわけがないのだ。年齢に 1.5 倍もの開きがある訳だし、筆記試験で点数をつけることに、意味を感じられないだろう。例えば国籍など、選別の際に「使わない」指標を明示しておけばよく、あとは主観的に選ぶので構わないと思う。
園バスがあると話が複雑になるが、どうしても客観的に選びたければ園からの距離で選別したってよいと思うのだ。
とにかく、志願者が受入可能人数を上回っているのに選別機会を設けないことが、大問題だと思った。


....と思って、その幼稚園のページを見たら、メニューに「受験生の皆様へ」とあった。慌ててクリックしたら、幼稚園が付属する短大の受験生のことだった。
この園で、子供はよい教育を受けたと思う。しかし、この選別体制を放置していることは、問題だと思っている。

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