カテゴリー「歴史」の16件の記事

2011/09/08

青焼き

私が大学生だったのは 1980 年代。今普通に使われているコピーは、「乾式コピー」とか、酷い時は他メーカーのものでも「ゼロックス」と呼ばれていた。
大学生協では、既に一枚 10 円になっていたのではないかと思うが、それよりも安い複写手段があった。それが、青焼き。
「乾式」と言うのは青焼きが湿式だったからだろう。湿式コピーと言うこともあったが、上の世代の人はリコーの製品名で「リコピー」 と呼ぶことが多かった。

青焼きをするためには、トレーシングペーパーで原版を作らなければならない。
自分で製図してコピーする場合には、トレーシングペーパーに墨で描いていた。これは、製図の実習で実際に経験したが、実習結果は青焼きするほどのものではなかった。建築事務所で設計図面のコピーをもらう時に見たことがある。
我々が青焼きを使ったのは、楽譜のコピーである (著作権は切れているものばかりだったが、版面権を認めるなら問題があったろう)。乾式コピーでトレーシングペーパーの原版を作るのは普通紙より高くつくので、一人一パートの管打楽器では青焼きの出番はない。一パートに 10 人前後の奏者がいる弦楽器で、青焼きが経済的だった。
原版はポジ画像なのだが、私の周囲では「ゼロネガ」と呼ばれていた。リバーサルフィルムを知らなかったのだろうが、ネガとポジを知らず、ネガとは写真を紙に焼く時のフィルムの意味だと誤解していたのだろう。
そのゼロネガを湿式コピー機に曲がらないように注意して入れると、印画紙は自動給紙で、原版とまだ湿ったコピーが出てきた。十数枚を続けてコピーするためには、原版を取って元の口に入れることを、それだけ繰り返さなければならなかった。
それでも、その前の世代の「自分で原版と印画紙を揃えて入れなければならない」機種に比べたら、ずっと楽なコピーだったはずだ。

上に引いた Wikipedia の項目には、「現在でも、A1~B0サイズの複写機では、電子写真式よりも装置が廉価であるため、ジアゾ式複写機もけっこう使われているが、リコピーのシェアが高い。」とある。
友人達が皆老眼になり、楽譜を大きくコピーしたいという要望は強くなるばかり。コンビニの乾式コピーでは A3 までしか見たことがないが、B3 くらいで見開き 2 ページを一度にコピーしたいと思うことがよくある。キンコーズを見ても A3 が最大。大判の青焼き機も置いて欲しい.....

2011/05/19

麻布の大名屋敷

中学に通っている頃、広尾の駅から学校まで行く途中に、大きな木戸のある屋敷があった。タイミングが合うと、そこから黒塗りの車が現れ、学習院 (初等部) の制服の少年二人が乗っているのに出会った。
当時は、金持ちが住んでいるんだな、程度の認識でやり過ごしていたのだが、後年、その近くにマンションが建つという宣伝を見て、そこが米荘閣という堤清二の建てた迎賓館と接することを知った。

件の屋敷はだいぶ切り売りされたようだが、航空写真で見ると、まだ住宅らしき建物が一軒だけ残っているようだ。
古地図との対応を取るのが難しいが、北條遠江守あたりか?

佐々木 譲の「エトロフ発緊急電」に麻布の華族邸の話が出てきて、そんなことを思い出した。

2010/08/23

デッキ

再生だけはできていたので細々と使っていた VHS レコーダーが、テープを巻き込むようになったので、捨てることにした。テープも、貴重なものは DVD に移してあるので今回全部廃棄。

さて、いざ捨てようとして「ビデオデッキ」という言葉を思いつき、「デッキ」って何だっけ? と疑問が湧く。 「レコードプレイヤーの台座部分」 だそうだ。なるほど、台座か。
では、オープンリールの横置きテープレコーダーならデッキと言い得るけれど、テープがカセットに納まっている場合はデッキじゃないじゃないか。「カセットデッキ」とは、なんたる概念矛盾。
じゃあ、縦置きのオープンリールはデッキなのだろうか? 「壁」とは言えそうだが....

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2009/12/11

烏口

工学部を出たので、専門が電気でも製図は必修だった。三十年ほど前、まだ CAD という言葉は一般的でなく、一部のクラスが「コンピュータ製図」の試行対象になっていたが、私のクラスは昔ながらの製図実習だった。

それまで、烏口というのは漫画を描くための道具と認識していたのだが、私のクラスでは烏口を使うことが要求された。wikipedia にはインクとあるが、墨を磨っていたように思う。あるいは記憶違いか?
他の製図のクラスでは「ロットリング」と固有名詞で呼ばれる万年筆が一般的で、入学祝に頂いたセットがあったのだが、日の目を見ることはなかった。
その製図の先生は、線の最後まで平行な (太さ一定な) 線の引ける烏口を使って、線の外側も内側もきちんと直角になった作図をすることを、重視されていたのだ。
先生が期待されるレベルの直角が描けるようになったとは思わないし、その後製図に活用することもなかったけれど。

当時は「コンピュータ製図」クラスになれなかったことを恨めしく思ったが、このごく単純な構造 (しかし、一万円の精密な品を買ったような気がする) の道具を使うことができたのは、よい経験であった。
私が専門課程にいる間に、その先生の訃報に接した。あの頑固な先生が早逝されたことを、残念に思う。

どの分野であれ、今でも烏口を使っている頑固な方がいらっしゃるだろうか?

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2009/11/25

中東

イエメンのニュースで、「中東」と聞いた。子供の頃、西アジアを一括りに「中近東」と教えられたような気がするが、アラビア半島が中東だとすると、近東はどこなのだ? そして、極東と中東の間は??

きんとう【近東】
〔東洋のうちで、西欧に近い所の意〕オスマン帝国の領土であったバルカン半島・小アジア・シリア・エジプトなどの地域一帯の称。⇒中東・極東
ちゅうとう【中東】
エジプト・アラビア半島・イラン・イラク・シリア・イスラエル・トルコなど、西アジアからアフリカ北東部にかけての地域。中近東。 ⇒極東・近東
きょくとう【極東】
〔東洋のうちで、西欧から見て隔絶した地域の意〕 日本・中国の東半部・朝鮮半島・東シベリアなどの地域一帯の称。 ⇒中東・近東
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

極東はよい。しかし、中国西部インド東南アジアには、名前すらないのか? インドを中心とする地域こそ、中東に思えるのだが....

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2009/10/15

動車組

中国の鉄道に興味を持っている人が、中国には「動車組」という言葉がある。全部の車輛にモーターの付いた超特急を言うらしい、日本語の適当な訳はないかという話をしていた。
たまたま超特急が動車組になっているだけで、文字から推測すると電車を指すのではないか、という意見が大勢を占めたのだが、その後に電車だけでなくディーゼルカーも含むという情報が出てきた。

機関車が客車を牽くのでない自走車輛という意味ならば、非常によくわかる。日本には、こういうカテゴリーを指す言葉がないので、あまりすっきりしない状況が生まれているので、羨ましく思った。
日本では、動車組の一部がディーゼルカー、過半は電車なので、車輛の動力に興味がない (環境影響や騒音には興味を持ってもよいのではないかと思うけれど) 人は、ディーゼルカーのことも「電車」と言う場合がほとんどだ。意図は推測できるけれども、電気で動かないものを「電車」と言われるのは、私にとっては背筋がぞくぞくする違和感なのだ。

ディーゼルカーには、気動車という日本語があった。電動車という言葉は、電車の中で本当にモーターを積んでいる車輛を指す技術用語として存在する。その上位概念として、「動車」というのは日本語にも収まる適切な言葉のように感じた。日本には電動貨車があるそうなので、動客車と動貨車という別の軸の区別もあるけれど。

ところで、そんなことを考えていたら、1970 年代の東海道線や中央線では、中距離電車 (今なら熱海や松本に行くもの) の端に一輛か二輛の荷物電車が付いているのが普通だったのを思い出した。あれが具体的に何を運んでいたのか知らなかったが、今調べると、荷物と郵便を一緒に運ぶものもあったらしい。荷物郵便合造車などは、動貨車の例になりそうだ。電動貨車も気動貨車もあったのは、知らなかった。

2009/08/16

1600 年のチェロと 1862 年のチェロ

先年、吉祥寺に行く機会があり、弦楽器店「シャコンヌ」で、チェロを試奏してきた。

1600 年頃製という、とても古いチェロ (この頃は、まだ楽器のサイズが安定しておらず、現代のチェロより大きいものだったので、後年サイズダウンしてある) も弾かせてもらうことができた (価格は非表示)。が、一番よかったのは、Enrico Ceruti の 1862 作の楽器であった。一千万円也。

「比較のため」という趣旨で、原則としてどの楽器にも同じ弦が張ってあり、A が Jargar、D, G, C が Spirocore だったのだが、この組み合わせでは、イタリアの新作楽器 (二百万クラス) でも、A 線がくすんでしまう。昔渋谷にあった (今は仙川にあるらしい) ユニオンストリングスで新作楽器を弾いた時には、A 線が攻撃的で馴染めない印象を持ったのだが、こういう印象は弦を変えるだけで大きく歪んでしまうのを実感した。楽器を選ぶのは難しい。

それにしても、ちょっと古い楽器でも、店で買うとものすごく高くなってしまう。個人間で入手できればよいのだが。

それにしても、関ヶ原の頃の楽器が現存するというのは、ありがたいことだ。

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2009/08/06

被爆者手記

広島忌に。

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大叔父は終戦時広島の銀行員だった。投下時には市内にいなかったが、救出のために支店へ行き、そこで残留放射能に曝されて被爆者となった。十数年前まで生き延びたが、その時の体験を手書きで記録して複製を親戚に配ったものが家にもある。

全文はこちらに: http://photos.yahoo.co.jp/ph/kumami_takehiko/lst?.dir=/511d

2009/08/01

ホームの階段

通勤に使うローカル線のホーム。今は跨線橋があるが、元は構内踏切があったのだろう、ホームの端にはまだ階段が残っていた。

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2009/06/30

旧東海道

かつて住んでいた家は、国道 15 号第一京浜と、国道 1 号第二京浜の間にあった。その前を走るのが、この旧東海道である。定期バスもなく信号も少ないさびれた道で、京浜急行の踏切を頻繁に電車が行き交うのと対照的である。

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だが先日、JR のガードに「旧国道跨道橋」とあるのを発見し、感慨深かった。
かつてはここを飛脚が行き交い、大名行列も通ったのであろう。近くには一里塚が残っている。

ちなみに、このあたりでは二本の国道のことを「一国」「二国」と呼び分けている。1 号線は、第二京浜なので「二国」である。

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