カテゴリー「音楽」の34件の記事

2016/09/11

楽譜と鍵盤

弦楽器を弾く仲間に、楽譜を読むのが苦手という人が少なからずいる。

その人達と話している中で、「今使われている楽譜は鍵盤楽器用にできているから」という言葉が出てきて驚いた。

弦楽器は、音の高さと弦を押さえる位置が対応している (正確には、振動する部分の長さと周波数が反比例) が、楽譜上の音符の高さの差は半音も全音も同じでピアノの白鍵に対応している、という主張 (A) だった。

私はピアノが最初の楽器だが、そういうことを考えたことはなかった。

私が自分で考えている楽譜の読み方 (B) は、

  1. 音符の高さを読む
  2. 音の高さを認識する
  3. その音の鍵盤を弾く

である。A の主張は 1. から 3. に直結しているというものだと思うが、B では 2. が重要で、音を経ずに鍵盤に到達するのはかなり難しい。不可能とは言わないけれど。

A の主張をする人は、頭に浮かんでいる音の高さに押える位置を対応させて弦楽器を弾いているのだろうと想像しているように感じた。

楽譜が五線になる前、主な使い道は歌ではなかったろうか。音符が音に対応するのが、最初の使われ方であったように思う。

そう言えば、ピアノは白鍵より黒鍵の方が使用頻度が高い気がする。弾きやすいから。最初こそ白鍵から習うが、自分が弾きやすいのは Des, Ges, H dur あたり、つまり黒鍵五つと白鍵二つを使う調。♭   を見た時、白鍵の隣の黒鍵と認識することはなく、まず音が移動してから対応する鍵が浮かんでいるようだ。

2016/04/04

読み方を教えない虐待

久しぶりに弦楽四重奏を始めた。

Quartet

初練習でのこと、四人のうち三人は大学の同期生でおよそ様子がわかっているが、ビオラだけ同期の都合が付かず、後輩に頼んで初顔合せ。ビオラはとても上手で、曲のこともよくわかっていた。スコアが頭に入っている感じで、安心感がある。

練習後に四人で話した。学生の時に一度だけ管弦楽の演奏旅行に一緒に行ったことがあるが、その時はバイオリンであった。ビオラはここ三年ほどとのこと。バイオリンは単独で聴いたことがないが、上手いに違いない。ただし、楽譜を読むのに苦労しているということだった。

珍しいことではないのだが、バイオリンの人の中に、とても上手だが楽譜が native language になっていないように思える人がいる。なので驚くことではないのだが、その点で今でも苦労しているという話だった。

驚いたのは、ビオラの方。ビオラはバイオリンとは違う音部記号、アルト記号を使うので、ト音記号から来た人もヘ音記号から来た人も、読み方を新たに覚える必要がある。ならば、バイオリンで苦労した人は新しいアルト記号ではそこを克服できるだろうと期待した。ところが、ビオラの新しい音部記号でも、やはり苦労しているのだそうだ。最初に楽譜を読むことを身に付けなかったのが、second language でも尾を引いているようだ。

これは音楽に限らないことのような気がした。話し言葉を耳から覚えるのは母語では当たり前のことだけれど、読み書きは大人の介入が必要。小学校で習えるから問題になることは学習障碍以外ではあまりなさそうだけれど、もし教えなかったらそれは大変な虐待である。

これは、第二言語以降でも同じことだと思う。その言語環境に抛り込まれれば話し言葉は身につくけれど、読み書きには努力が必要。日本の英語教育は、長い間その逆をやってきて話し言葉を身につける機会を与えないことが多かったわけだけれど、読み書きを先に叩き込んであるので、その言語の環境に抛り込まれたあとは有利であると感じている。

今、始まろうとしている英語の早期教育がどのような方針なのか把握できていないのだが、この「虐待」に当たらないことを強く願う。

2016/03/08

指導者を得ること

専門家の指導を仰げばよいのに、と思うことが重なった。

 

音楽

楽器

楽器を始める時に専門家の指導を仰ぐのは、比較的多くの人が当然のことと受け入れているように思う。それは子供の時に始める場合に限られるのかも知れない。

就職してから出逢った中には独学でチェロを始めたという人もいて、驚いた。楽譜が読めて教本があれば、それで始められると思うのかも知れない。

しかし、ほんの些細なことに思えて他人に指摘されるまで気がつかないことがどうしてもあるし、今の自分の技術水準で特に足りないのがどこかを指摘してもらうことも、とても有効だと思う。今からでも習えばずっとよくなるのに、と思うことが多い。

 

合奏

自分が中学で弦楽器を始めて以来、管弦楽で弾いてみたいと思っていたが、その機会は大学までなかった。

中高の間は部の活動で、楽器は小さな合奏、最大でBrandenburg協奏曲の四番程度のものを弾き、主には四部合唱をやっていた。合唱は音大から非常勤でいらしていた先生に指導して頂いたが、楽器は足りないパートを卒業した先輩に頼んでいたので意見をもらうことはあったものの合奏全体を見通して指導してもらったことはほとんどなかった。合唱で受けた指導は、その後の器楽にも役立っているが、合奏経験は「この曲を弾いたことがある」に留まっている。

 

管弦楽

大学では管弦楽団に所属したので、全体合奏も弦楽器だけの「分奏」も、専門家に指導して頂いた。各自、楽器を専門家に習うことが参加の条件になっていて、唯一自力でやっていたのは同じ楽器の「パート」の中の練習だった。それも、時々は専門家に見て頂く機会があった。

同じことを何度も言われて腑甲斐ないと思ったところも多々あるけれど、当時受けた基礎的な訓練は有効だった。専門家に指揮してもらって得られるものと別の次元で、糧になっている。

 

室内楽

一方、管弦楽団の中で有志で室内楽 (最低二人、主に三から五人、多いもので八人程度の合奏) をやる機会がよくあった。合宿の宴会前とか学園祭とか。それを専門家に見てもらう習慣がなかった。学生ゆえ小人数でお願いするのは負担が大きかっただろうとも思うが、先輩に見てもらうだけでもずいぶん違ったのではないかと今にして思う。もったいない時間の使い方だった。

就職してからは職場の管弦楽団に所属し、そこでも室内楽をやった。メンバーに経営者だった方 (要職を退任されてから楽器を再開されたのだと思う がいて、「四重奏やるならレッスン受けよう」という言葉が自然に出てきた。

率直に言って、それまで考えたことのない提案で面喰った。しかし、レッスンは濃密な時間で、とても得るところが多かった。我々の側は、決して譜面通り弾けていないし、言われたことがすぐできるようになる訳でもない。でも、言われたことは納得できたし、その後の指針になった。

後から考えて、足りないところに外の力を導入しようと考えられるのが経営者の視点なのだな、と思った。大学で同期だった友人と室内楽を続けていたら、そのままずるずるとやっていたのではないかと思う。

 

写真

写真を撮るのは好きだったが、デジタルの時代になって「シャッター速度を選べるコンパクトカメラはないか?」と思った程度で、「独学」すらせずに撮っていた。その頃の写真を見ると、日の丸構図の山。

SNSの時代になって写真家と交流ができ、話を漏れ聞いている内に、「三分割法」という言葉すら知らないことに問題を感じた。まず本を読んで基礎知識を仕入れた。

SNSに撮った写真を載せてコメントを頂ける機会があり、視野が広くなった。

カメラを買うにもアドバイスをもらったが、買ってからは、そのメーカーの講座に参加できるようになり、様々な撮ったことのない分野を経験することができた。

そして、去年は写真家ご本人の写真教室に参加することができた。その場でもらったアドバイスは数点だけれど、アドバイス前後で違う写真を撮っているのが目に見える。

きっかけになったこと

この記事を見たのが、この記事を書くきっかけになった。

体験に基づく否定を信ぜよ         http://lord.takerunba.com/entry/2016/02/25/004528

> 特別なことに経験がある人の否定的な意見は信ずるに足る。

否定的なことに限らない。先駆者があるなら、まずそこから得られるだけのことを学んで、その先を目指したらよいと思う。

 

これもその一例 http://diamond.jp/articles/-/86961

 

先が短いと感じる年齢になり、時間を有効に使いたいと強く思うようになった。物より知識に投資したい。

車輪を発明するのは楽しいかも知れないが、それをする時間の余裕は自分にはもうない。誰かが作ってくれた車輪があるなら、それを使って何ができるかを考えたいのである。

 

2016/02/21

スコアを見て室内楽を弾くこと

スコアを見て弾ける

紙の譜面しかなかった時代には、管弦楽も室内楽もパート譜を見て弾くのが当然だと思っていた。ピアノだけはスコアを見られるけれど、自分で譜面をめくる楽器は、自分のパートだけにしないとめくる余裕がない。

しかし、2013 年、Borromeo Quartet を聴いて目から鱗が落ちた。譜面を電子化する利点は、譜めくりの便だけではなかった。

http://northwestwind.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/pdf-c58d.html

10 番は印刷もののスコアだった様子。見開き 2 ページを一画面にしていて、めくりには気が付かなかった。 11 番は、手稿らしい横長のページのスコアで、三段の譜面。1 ページしか表示していないので、一楽章などはすぐにめくりになる。しかも、ページごとに傾いていたり折れているところがあったり、めくったことが一目瞭然。譜面に興味がなければ、目障りに感ずる人もいるだろうと思う。 12 番は印刷譜のようだったが、なぜか一面に 1 ページしか表示していなかった。文字の書き込みは目立たなかったが、蛍光ペンのような色で塗ったところもあった。電子ファイルだから、何を書き込んでもオリジナルは残しておけるわけで、書きたい放題だということを、どこかで読んだのだった。

http://www.classicajapan.com/wn/2013/03/190042.html

なぜ楽譜をデジタル化するかについては、まずはスコアを見ながら演奏したいというのが出発点だったとか。ヴァイオリンのニコラス・キッチンによれば、パート譜で演奏していたころは、練習時間の多くが他人が何を弾いているのかを確かめるために費やされていたけど、4人がスコアを見れば効率的である、と。さらに「作曲家がアンサンブルに同一性を求めなかった場合でも自信が持てる」ということで、ベートーヴェンがそれぞれの楽器に異なる弾き方を要求しているときに、すぐに発見できるのが利点。さらに練習では手稿譜もデータで参照しているそう。

 

MacBook Pro を電車で持ち歩くのは無理があるし書き込む手段も必要だからすぐには真似できないが、「スコアを見て弾く」というのは頭に引っ掛かって離れない。近々、十年ぶりくらいに室内楽を弾けそうなのだが、紙の譜面でなんとかならないか、思案している。

iPad を使っている人はいるそうだし、iPad Proの大きさなら、二枚使えば充分使えそうではある。指揮者用譜面台なら問題なく載りそうだが、それも持ち運べるようになった時に実用になるか。

今回は時間的にも間に合わないので、紙で行くしかなさそうなのだが、老眼になって、譜面を拡大コピーしている人は多いと聞く。譜面台はおよそ A3 見開きを想定して作ってあるが、裏打ちがあれば A2 見開きならいけるのではないか? それなら、一頁にスコアの四頁を印刷すれば、見開き八頁分は行ける。手元のスコアで試してみたら、そのくらいあればなんとかめくる場所はありそうだ。何も頁の最後でめくる必要はないので、めくれる休符のある「元の頁」を、見開きのめくる前とめくった後と、二箇所に刷っておけばよい。

まだ試していない。とにかく自分のパート用のスコアを作ってみよう。

 

製本

ところで、製本には学生の時からスティック糊を使っていて、粘着テープによる方法は後から聞いたがやったことがない。探したら、

があった。どちらも

2ページずつになった見開きの楽譜同士を、本のようにしていく作業に入ります。 組み合わせた楽譜を取り出し、その片側にのりをつけていきます。

ところには進歩はないようだ。

両面コピーを使ったら、もう少し省力できないか? 三枚以上の両面印刷紙を綴じるのに、あまり上手い方法を思いついていないのだけれど。

2015/10/18

数学と音楽

子供が勉強をする時に、器楽の録音を聴いていたら、「音楽があるとできない」と言われた。
私とは違うが、それは不思議ではない。

 

ところが、今日は歌の録音を聴きながら勉強をしている。
器楽は駄目で歌が入るといいのか? と訊いてみたら、数学と音楽が両立しないのだという。
そういう仕組なら納得するが、自分は音楽を表層的にしか聴けないのか、と思った。

2013/06/08

ボロメーオカルテットの pdf 楽譜

ベートーベンの 10, 11, 12 番の回を聴いた。
10 番ハープは、緊張していたのか調子の出ないところがあったが、11 番から絶好調。
幸福な一時を過ごした。

 

この日は、ファースト斜め後ろの「サイドビュー席」の最前列で聴けたので、話題の「譜面」も見ることができた。

iPad で弾くという話もいくつか聞いているが、それは画面が狹いだろうと自分が真似するのには抵抗があった。格好は悪いが、この日のファーストのサイズ (MacBook Pro らしい)  なら自分でも使ってみたいと思った。

そこに表示されていたもの。
10 番は印刷もののスコアだった様子。見開き 2 ページを一画面にしていて、めくりには気が付かなかった。
11 番は、手稿らしい横長のページのスコアで、三段の譜面。1 ページしか表示していないので、一楽章などはすぐにめくりになる。しかも、ページごとに傾いていたり折れているところがあったり、めくったことが一目瞭然。譜面に興味がなければ、目障りに感ずる人もいるだろうと思う。
12 番は印刷譜のようだったが、なぜか一面に 1 ページしか表示していなかった。文字の書き込みは目立たなかったが、蛍光ペンのような色で塗ったところもあった。電子ファイルだから、何を書き込んでもオリジナルは残しておけるわけで、書きたい放題だということを、どこかで読んだのだった。

めくりはペダルで一瞬だが、11 番など、ペダルでめくることがほとんど無意識にできるようになっていないと、これで演奏はできないだろうと思う。
曲の最初では、数回ペダルを踏んでページをざっと見ているようだった。前進も後退も、すっかり身に付いている様子。

ところで、正面で聴く必要は全くないと思って会場に向かったのだが、一つだけしまったと思ったところがあった。ファーストの音が遠いのである。隣のビオラはよく聞えるので、どうやら楽器の本体が奏者の影に入ってしまって、直接音が聞こえなかったところが原因であった気がする。フィリアや昔のカザルスホールの二階なら、横でも楽器が見えないという事態はなかっただろう。段のない客席で横からカルテットを聴く場合の問題点があるようだ。
このカルテットは、セカンドが上手にいるのだが、セカンドは楽器が裏になるという意識からだろうか、楽器を客席側に出そう出そうとしているのが感じられた。それに対し、下手のファーストにはそういう意識がなく、楽器はいつも自然な姿勢の左前にあった。たまたま私の席は、奏者に関して楽器と正反対の位置にあったので、一度も直接音を聴けなかったのだった。

2013/04/12

CD のような

従妹弟の披露宴で、チェロを弾くよう頼まれたことがある。

無伴奏で弾くのも苦しいので、ピアノの叔母に一緒に弾いてくれるよう頼んだが、振られた。

仕方がないので、当時一緒に弾いていた室内楽のメンバーに頼んで弦楽四重奏を持って行った。

 

賓客 (本題から外れるが、主賓と対になる言葉を知らないので探したら、陪賓であった) を迎える間も弾いていたのだが、その中の知り合いが寄ってきて言うには、「CD のようですね」。

驚いた。どうやら誉められたらしい。悪意のない発言であった。

 

しかし、生演奏を聴くこと演奏することの価値を痛感する身としては、録音のようだと言われたのには、それを否定されたという第一印象を持たざるを得なかった。

録音のようであるならば、録音を使えば済んだのではないか、と。

生ゆえに事故を起こすこともあるのだが、それでも、新郎新婦を知っている人間が生で弾くことに価値があると思っている。

 

それは聴く方にもつながっていて、東京でさまざまな演奏を生で聴ける環境を有難いと思う反面、録音を聴くことに投資してもしょうがないと思ってしまう。

楽器を弾く友人の中には、超高級な再生装置を持っている方もある。それで聴くのは確かに迫真の音なのだが、でも、自分はそこに投資するだけの資金があったら生を聴くことに費やしたい。

演奏者と聴衆とが一対一でなくても、生を聴くことで演奏家から受け取れるものは、録音できる情報とは比べようのない価値のあるものだと思う。

2012/02/29

楽曲

楽曲という言葉を初めて聞いたのは、15 年くらい前だったろうか。日本製の電気増幅音楽の世界の言葉だったように思う。辞書には

がっきょく(ガクキョク)【楽曲】
声楽曲・器楽曲・管弦楽曲などの総称。
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

がっ‐きょく 〔ガク‐〕 【楽曲】
音楽の曲。声楽曲・器楽曲・管弦楽曲などの総称。
デジタル大辞泉

とあるが、それまでは、「曲」という表現にしか接したことがなかった。
辞書の説明は、「○○楽曲」を並べた言葉遊びのようにも見える。交響曲、協奏曲、独奏曲、合唱曲、歌曲はどうなのだ?

自分の日常語彙には他に「曲」と言うものがないので、紛れのないものをわざわざ長く言う意図が理解できなかったのだが、その後、無増幅音楽の世界でも「楽曲」という語を耳にするようになった。
元から使われていたのか、それとも増幅分野から輸入したのか、判別できない。「曲」と区別する必要を感じている人がいるのだろうか?

「曲」と言えばよいものを、わざわざ長く言い換えて虚勢を張っているように思えてならないのだ。

2012/02/15

でシャンゼリゼ

元の down Waterloo Raod よりフランス語訳の方が有名な les Champs-Elysées
日本では「オー・シャンゼリゼ」という歌だと認識されている気がする。しかし、フランス語の題には前置詞の à は入っていない。それをわざわざ aux Champs-Elysées  と言われると、何か「シャンゼリゼ」の前に「で」と付けられたような気がする。「でーシャンゼリゼ」。

しかし、"aux" にせよ元の "down" にせよ、前置詞が強拍にあるのが不思議だ。私の世界ではアウフタクトに持って来そうな語だ。
歌の気持ちとしては、「でーシャンゼリゼ」が適訳なのだろうか。

ところで、Joe Dassin の Les Champs-Elysées がフランス語版の最初だと思っていたが、最初に挙げた Danièle Vidal のも 1970?  あれ? この二つの録音の関係は?

2012/02/11

デタシェの弓位置

チェロをデタシェで弾く時に、あまり弓先では弾かないように思う。元ということはないにせよ、せいぜい弓中。一方、バイオリンでは弓先で弾くことが多く、学生の頃、不思議に思っていた。

ところが、子供と一緒に弾くためにバイオリンを持つと、自然とデタシェが弓先になるのだ。これはさらに不思議。
だが、子供は弓元で弾き、それを直したくなる。自分がなぜそう感じるのか、腑に落ちていない。