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2015年5月の3件の記事

2015/05/25

信号建植位置と軌道回路境界

 
軌道回路を利用した信号保安システムのかなり本質的な穴が明らかになったように思っている。
システムで防げない部分を人間がカバーできなかったところが問題だが、担当者、運転士も指令も責めてはならず、経緯を明らかにして関係者が仕組を完全に理解するのが第一歩だと思う。
私がこの記事から推測できるのは、
  1. 信号機と軌道回路の境界がずれていた (下り場内信号)
  2. 信号機を越えたところ (専門用語では「内方」) に列車 (かもめ 19) が停止した
  3. 列車は内方の軌道回路を踏んでいなかった
  4. 下り列車は場内信号の内方にはいないことになっているので、下り場内信号を停止にした上で、上りの場内信号を開通 (おそらく進行ではなく注意) させることができた
  5. この時、過走の可能性を考えて、下りから進入する側の転轍機も待避線側に転換鎖錠される (この鎖錠は、上り列車が場内信号の内方に入って一定時間後に解け、その時点で下り側転轍機を本線側に転換して下りの場内信号を開通させられる)
  6. 5. の状態の時に、停止現示である場内信号が見えない下り列車が発車してしまい、待避線に進入した
という経緯。
6. の判断を運転士が指令に仰ぎ誤った状況認識で許可したのが、直接の原因ではあるようだ。
しかし、この状況が生じるシステムに問題があって、人間はミスをするし、確実な情報伝達を期待するのは無茶だと思う。
1. のずれの理由は、おそらく、SL のように運転席が先頭にない列車の場合に、自分自身が信号内方の軌道回路を踏んで信号を停止にしてしまいその信号を越えられなくなるのを防ぐためだろうと想像している。
現代には SL を想定しなくてよいのではという意見もあり得るが、保存車輛が走る可能性は想定しておくべきだろうと思う。
安全側に考えると、下のように設計変更するのがよいのではないかと考えた。
(これを全国でやるには莫大な費用がかかるので、すぐにできないことは明らか、将来的にも無理かも知れないが、設計思想として)
  1. 自列車がその信号内方の軌道回路を踏んで停止現示になったのを見ることはあるという想定を置く (これは、特に運転室が後方にある SL では起きやすい)
  2. その前提の下で、列車の一部でも信号の内方に入ったら軌道回路を踏むように境界を設定する。あるいは、境界まで信号機を移設する (停止距離と視認距離によって信号の場所が決まっているので、信号機を動かすのも簡単ではない)
  3. 1. の現象が起きた場合の脱出手順を決める
つまり、自列車の前部が信号を越えているために信号が停止現示となり、それを見て動けなくなるという deadlock があり得る。
そこから抜け出す手順をルールとして決めておくことで、deadlock の発生は許容しようという思想。
手順は、
  1.  その軌道回路を含む区間に他の列車がいないことを確認する
  2.  さらにその区間に他方向から入る進路 (今回の例では上りの場内信号) が開通していないことを確認する
  3.  当該列車に停止現示を見ながら進行することを許す
このルールだけなら実施は難しくなさそうに思っている。(2. の改造が大変重いのが問題)
この場合でも、停止現示を見ながら発車するという特殊な操作が必要になるが、その状態を作っているのが自列車の前部であるという事情は直観的に理解できそうなので、今回の状況を作った現行設計よりはミスの起きる確率が低いのではないかと考えた。

2015/05/22

外回り内回り

山手線の二方向の列車を区別するのに、外回りと内回りという表現が使われていた。私は、通学に使うようになった四十年前から疑問を持たずに受け入れていたのだが、そう言っても通じない人がかなりいるということは、齢を重ねると共に感じるようになって行った。

それを、最近はあまり使わないというのを聞いた。わからない人が多いからというのは納得するのだが、「電車が左側通行なのを知らないと」という説明が付いていて、首を捻ってしまった。

たしかに、外回りが時計回りで内回りが反時計回りというのは、左側通行なのを知らないとわからない。その点で、内外回りを使うよりは、時計回りか反対かを使った方が直接的でましな表現だと思う。

 

しかし、外回りがどちらかわからない人に時計回りと言ったら通じるのか? そこが疑問だと思ったのだ。

もし通じるのであれば、積極的に時計回りと反時計回りを使うべきだと思う。

なお、

  新宿駅構内図

 など、今でも内回り外回りという表現は使われている。

 環状線を離れると、上下線という区別は、inbound / outbound という言葉で英語圏でも使われているように思う。

問題が起きるのは、近年増えている都心を通過する線。地下鉄は、終点が決まっている場合が多いから、それほど問題にならない。しかし、湘南新宿ラインや上野東京ラインの末端は多様である。

京浜東北線には南行と北行という区別があるが、大船方面と大宮方面で区別する方が多くの人に理解できるのではないだろうか。

しかし、高崎も宇都宮も、小田原も逗子も行く湘南新宿ラインの向きをどう区別したらよいのか、悩ましい。大局的には、南北だと思うけれど。

 

2015/05/21

記譜可能騒音

近所のマンション建設現場で、不快な騒音が始まった。サザエさんの屋外場面で使われている「音楽」。日曜は休業なので静かだが土曜は平日と同じく朝からやっていて、苦痛で叫びたくなる。
探すと、同じ苦痛を抱えている人がいる。
 
 
この例とは違って「延々とエンドレス」ではないが、エレベーターが動く時に鳴るようだ。朝一番は運び上げるものが多いのか数十分続けて鳴り、その後間歇的になる。そうなると、罪は工事会社よりもエレベーター製造会社にあるように思う。
 
似たような例で、自動車工場を見学した時に見た無人搬送車が、何かのメロディを始終鳴らしていたのを思い出した。動くもの警告するために音を出すのは、必要なことだろう。ハイブリッドや完全電動の自動車で話題になったように。
しかし、警告音が、意味を持つ「記譜可能」な音である必要はないだろう。音程の変動しない、ベルやブザーのようなものであって欲しい。音程が聞き取りにくいホワイトノイズであれば、助かる。
こういう騒音を無視できる人も多いのだろうと思う。しかし、私の家族は、皆叫びそうになっている。
(サザエさんの番組の中で一話に一回出てくるのは、苦痛でもないし、情景の描写として聞いている。苦痛なのは、文脈を無視した使用と繰り返しである)
 
このような、「音楽」とは言いがたいが譜面に書き取ることができる「記譜可能騒音」は、他にもある。
駅の「発車メロディ」:
 
 
これも苦痛である。旅行先で一度聞くだけなら、そんなものかとやり過ごせる。しかし、生活路線で毎日同じものを聞かされるのは、大変な苦痛である。
上り下りで違う「メロディ」を使う駅も多い。上下線のメロディを混ぜて聞かされるのは、さらなる苦痛である。
なぜ、こんな騒音をわざわざ作って宣伝までするのか。
発車ベルは、騒音ではあったかも知れない。しかし、叫びたくなるほど不快なものではなかった。
 
私は、「記譜可能」と言っても、聞いた音がすべて音名になるほどではない。しかし、
 
 
を信ずるなら、私には記譜できないような音でも音名が浮かぶ人もいるようだ。そういう人の苦痛は、私の苦痛をはるかに超えた絶大なものだろうと思う。
 
別の事例を探して、煙草に思い至った。
私は子供の時から、煙草を不快かつ危険 (火災の意味で) なものだと思っていた。しかし、その蔓延度からして、これから逃れることはできないものと諦めていた。
中学の時、数学の先生が嫌煙運動を立ち上げたことを知ったが、蟷螂の斧の虚しい活動だと見ていた。
しかし、その後の展開は私の予想とは大きく異なった。今のように、まともな店は禁煙になり、職場も息ができるようになるとは、1990 年代でも想像できなかった。
公道に煙を流して火を振り回す輩は消えないけれど、革命的な改善が達成できたと思う。
 
それを考えると、記譜可能騒音も諦めてはいけないのかも知れない。苦痛に感じている人が、地道に声を上げるべきなのではないか。
鉄道会社にもエレベーターメーカーにも苦情を言い続ければ、いずれは改善されることもあるかも知れない。
自分が生きている間には実現できなくとも、それをするのが若い世代に対する我々の義務なのではないかと感じている。

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