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2013/04/12

CD のような

従妹弟の披露宴で、チェロを弾くよう頼まれたことがある。

無伴奏で弾くのも苦しいので、ピアノの叔母に一緒に弾いてくれるよう頼んだが、振られた。

仕方がないので、当時一緒に弾いていた室内楽のメンバーに頼んで弦楽四重奏を持って行った。

 

賓客 (本題から外れるが、主賓と対になる言葉を知らないので探したら、陪賓であった) を迎える間も弾いていたのだが、その中の知り合いが寄ってきて言うには、「CD のようですね」。

驚いた。どうやら誉められたらしい。悪意のない発言であった。

 

しかし、生演奏を聴くこと演奏することの価値を痛感する身としては、録音のようだと言われたのには、それを否定されたという第一印象を持たざるを得なかった。

録音のようであるならば、録音を使えば済んだのではないか、と。

生ゆえに事故を起こすこともあるのだが、それでも、新郎新婦を知っている人間が生で弾くことに価値があると思っている。

 

それは聴く方にもつながっていて、東京でさまざまな演奏を生で聴ける環境を有難いと思う反面、録音を聴くことに投資してもしょうがないと思ってしまう。

楽器を弾く友人の中には、超高級な再生装置を持っている方もある。それで聴くのは確かに迫真の音なのだが、でも、自分はそこに投資するだけの資金があったら生を聴くことに費やしたい。

演奏者と聴衆とが一対一でなくても、生を聴くことで演奏家から受け取れるものは、録音できる情報とは比べようのない価値のあるものだと思う。

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