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2012年2月の14件の記事

2012/02/29

楽曲

楽曲という言葉を初めて聞いたのは、15 年くらい前だったろうか。日本製の電気増幅音楽の世界の言葉だったように思う。辞書には

がっきょく(ガクキョク)【楽曲】
声楽曲・器楽曲・管弦楽曲などの総称。
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

がっ‐きょく 〔ガク‐〕 【楽曲】
音楽の曲。声楽曲・器楽曲・管弦楽曲などの総称。
デジタル大辞泉

とあるが、それまでは、「曲」という表現にしか接したことがなかった。
辞書の説明は、「○○楽曲」を並べた言葉遊びのようにも見える。交響曲、協奏曲、独奏曲、合唱曲、歌曲はどうなのだ?

自分の日常語彙には他に「曲」と言うものがないので、紛れのないものをわざわざ長く言う意図が理解できなかったのだが、その後、無増幅音楽の世界でも「楽曲」という語を耳にするようになった。
元から使われていたのか、それとも増幅分野から輸入したのか、判別できない。「曲」と区別する必要を感じている人がいるのだろうか?

「曲」と言えばよいものを、わざわざ長く言い換えて虚勢を張っているように思えてならないのだ。

2012/02/15

でシャンゼリゼ

元の down Waterloo Raod よりフランス語訳の方が有名な les Champs-Elysées
日本では「オー・シャンゼリゼ」という歌だと認識されている気がする。しかし、フランス語の題には前置詞の à は入っていない。それをわざわざ aux Champs-Elysées  と言われると、何か「シャンゼリゼ」の前に「で」と付けられたような気がする。「でーシャンゼリゼ」。

しかし、"aux" にせよ元の "down" にせよ、前置詞が強拍にあるのが不思議だ。私の世界ではアウフタクトに持って来そうな語だ。
歌の気持ちとしては、「でーシャンゼリゼ」が適訳なのだろうか。

ところで、Joe Dassin の Les Champs-Elysées がフランス語版の最初だと思っていたが、最初に挙げた Danièle Vidal のも 1970?  あれ? この二つの録音の関係は?

2012/02/14

手打ち饂飩

今日は子供がクラスで饂飩打ち。
粉を捏ねるところから始め、一人ずつビニール袋に入れて踏み、伸ばして切った。
切るところと味付けは、保護者が班に一人入って見たそうだ。

先生は、讃岐に一週間滞在して食べ歩き、学んできたと言う。午前中使っての饂飩打ち、子供は真剣にやって堪能し、持ち帰った分を分けて生醤油で食べた。

踏み疲れて脚がパンパンだと言っているが、自分達で打った饂飩。よい経験であった。

2012/02/12

私鉄の色分け

旧国電や地下鉄の電車は、色によって路線がわかることが多い。もちろん、乗り入れによって違う色の電車が来ることも多いけれども。

しかし、元からの私鉄はそうは行かないところが多い。京成、京急、小田急、京王、西武、東武、どれも途中に分岐があるし、東急にしても、同じ車輛が別の線も走ることがありそうだ。
京王の場合は、井の頭線だけ別の色になっているが、井の頭線と本線系統を乗り間違える人はほとんどいないだろう。本線系統の中での乗り間違いを、色によって防げないものだろうかと思う。

車体の色を変えるのは、少なくとも現時点では廉価には実現できないだろう。しかし、列車の前面や側面の電光表示はさまざまな色が使えるようになった。列車種別を表すのには使われている。種別色との文脈を区別するのが難しいが、行先方面を色で表す努力をしたら、無駄にはならないように思う。

例えば小田急。下りは江ノ島線、小田原線、多摩線の三色。上りは新宿方面と千代田線方面の二色。併せて五色を行先の文字そのものか枠に使えば、徐々に定着して行くのではないだろうか。列車種別色と行先色を分けると、色数が多過ぎて中間色も必要になり、却って混乱しそうだ。むしろ、「種別色―行先色」の二色の組合せを常に使うようにすれば、利用者が慣れてくるように思う。
種別色は今のままとして、江ノ島線を青、小田原線を赤とすれば、「赤青」が急行江ノ島線行き、「黄赤」が準急小田原線行き、という具合である。
通学の小学生に、最初つまり一年生になる時にどの電車になら乗ってよいかを教えるのは、かなり難しいことだろうと思う。二色の組合せなら、その場面でも使えるのではないかと思うのだ。

2012/02/11

デタシェの弓位置

チェロをデタシェで弾く時に、あまり弓先では弾かないように思う。元ということはないにせよ、せいぜい弓中。一方、バイオリンでは弓先で弾くことが多く、学生の頃、不思議に思っていた。

ところが、子供と一緒に弾くためにバイオリンを持つと、自然とデタシェが弓先になるのだ。これはさらに不思議。
だが、子供は弓元で弾き、それを直したくなる。自分がなぜそう感じるのか、腑に落ちていない。

2012/02/10

新都心と副都心

「さいたま新都心」という駅ができた時、市の合併に合せて、県庁もそこに移転したのだと思い込んだ。実際にそこまで行ったこともあるが、合同庁舎があるのだから、そのどこかに県庁も入ったのだと思った。
その後、何も疑わずに県庁所在地駅としてさいたま新都心のことを話していたら、話が噛み合わない。そこで初めて、今も浦和に県庁があることを知った。

思い返すと、東京には副都心という言葉があった。新宿が筆頭だったが、池袋や渋谷を含めて七つあったらしい。しかし、都庁が移転して来るに及び、新宿は新都心になったのだと思っていた。実際には、そのような定義がされた訳ではなさそうで、今も新宿は副都心扱いらしい。
ともかく、それが頭にあったので、埼玉に「新都心」という言葉を見た時、そこが新しい県庁だと誤認したのだった。副都心と新都心という言葉が両方使われているが故に生じた誤解だ。

2012/02/07

燃油

「燃油」という言葉を初めて目にしたのは、燃油サーチャージが始まった時ではなかったかと思う。燃料油を燃油と言うのは正しいのだろうけれど、なぜ今まで「燃料」で済んでいたところを燃油と言い換えなければならないのか、腑に落ちない。
固形燃料、気体燃料、あるいは油でない液体燃料と区別する必要がある時には、もちろん燃油と言うべきだろう。ジェット機やディーゼル車の燃料を「ガソリン」と言う間違いに比べたら、灯油も軽油も含む適当な粒度の言葉で便利だと思う。

それでも、飛行機やバスの燃料と言われて、固体や気体を思い浮かべる時代ではないと思う。
なぜ、わざわざ燃「油」なのか、やはりすっきりしない。

2012/02/06

天井燈

マンションの最上階ではないのだが、斜線制限で上がない部屋に住んでいる。斜線制限いっぱいに空間を取ろうとしたのだろう、屋根は斜面になっている。北側の部屋は標準的な天井高だが、南側は天井が高い。

マンションの居間は食堂と一体のところが多いと思うが、燈具を付ける端子は「居間用」と「食卓用」と二つ付いているところしか知らなかった。前に住んでいた部屋は狭く、正方形に近い部屋でありながら二つの燈具が付けられるようになっていた。真ん中に一つあれば充分なのに。

ところが、今の天井の高い部屋には、端子は中央に一つしかない。そこに手持ちの中で一番明るい燈具を付けたら、それで照明は充分なのだった。天井が低いと、却って照明に費用がかかるようだ。

2012/02/05

一般道の高速バス

自転車で歩道を走っていたら、横浜駅から中央道方面への高速バスを追い越した。首都高速より早いという判断か、料金による選択か?
一般道で渋滞している高速バスは、何か哀れだ。

2012/02/02

咳止飴の騒音

楽器を弾くので、クラシックの演奏会にもよく行く。
クラシックの演奏会は静寂を前提としているということには、共通認識があるように思う。音が出ている間に咳を我慢していたのだろう、もっとも静寂であって欲しい楽章の間で、盛大に咳をする人が多いからだ。
私自身は、実は咳はあまり気にならない。生理現象だから仕方ないと思うからかも知れない。楽章の間の砲列を別にすれば、無理しないでよいのに、と思ってしまう。

それよりずっと気になるのは、飴の包み紙の音だ。咳に比べて大きな音だとは思わないが、耳障りな音が長く続くので、聞き流すことが難しい。これを考えてみると、咳はたいていは一発で終ってしまうから気にならないのかも知れない。
音量の大きいところで目立たずに剥く人もあるのかも知れないが、耳をそばだてるようなところで盛大に「バリバリバリ」とやられると、演奏を聴くどころではなくなってしまう。
剥いている本人だってあの音はうるさいだろうと思うのだが、耳で聞いて判断するのでなく、「こうあるべし」と決めた枠にはまっていればよしということなのだろうか。

一時間おきタイマー

賃貸住宅に住んでいるが、空調機のタイマーは一時間単位でしか入る時刻を指定できない。洗濯機は自分で買ったものだが、これも同様である。正確には、空調機は指定の温度に到達する時刻、洗濯機は洗い上がる時刻までの経過時間の指定だが、60 分刻みでしか指定できないことに変わりはない。
これは非常に不便である。
洗濯機は、朝起きる時に洗い上げて、それ以上に早くから音をたてないで欲しいし、暖房を入れる際、起きる前に指定温度になっていても電力の無駄である。
仕方がないので、寝る前に時計を見ながら、いつタイマーを仕掛けるかを考える羽目になる。

空調機については、これよりも十年近く前に自分で買ったものは、十分単位で時刻を指定できた。賃貸だから最低級のものが付いているが、高級機を買えば十分単位で指定できるのだろう。しかし、タイマーの電子回路にわざわざ機器の等級による差をつける方が、合計の製産費用は高くなるのではないかと疑いたくなる。そんな基本機能でなく、「マイナスイオン」だの「プラズマなんとか」だの、妖しい付加機能で差をつければよいのではなかろうか。換気機能などは、高付加価値のために高価格が受け容れられるものだと思う。

洗濯機についても、いつ洗濯しているかわからないような超高級機であればタイマーの分解能が粗くても問題はないだろうが、なぜこのような仕様を思いついたのかが、理解できない。もちろん、一時間単位で困らない利用者もいるだろうけれど、それでは困る利用者もいることに思い至らないのだろうか? ある社の洗濯機のページを見てみたが、機能比較をしてもタイマーについては何もわからなかった。取扱説明書を片端からダウンロードして読んでみないと、自分が求めるタイマーは得られそうにない。


これらの機器に、せめて十分単位の分解能のタイマーが付いていて欲しいと思うことは、ごく特殊な要求なのだろうか?

街中騒音と電車内騒音の文化差

iPhone のサイレントモードが使いにくいという話をしていて、電車の中で携帯電話の音を極端に嫌うのは日本固有の文化ではないかという説が出てきた。
もう十年ほど日本を出ていないので、現在の諸外国の情勢を全く知らないのだが、先世紀末 TGV に乗っている数時間 (在来線に乗り入れて終点まで)、ほとんど休みなく電話をかけ続けている人物がいたのを覚えている。もっとも、その頃は日本でも電車で大声で喋る人達がいて、それを抑制する方へ社会が動いて行ったと思う。
自分自身、声高な電話や不意に鳴る呼出音は不快に思うが、小さな声であればあまり気にならないような気もし、過度な相互監視意識があるようにも感ずる。

日本人は静寂が好きなのかと思うと、街中の騒音に関しては非常に寛容なことに思い至る。街宣車に驚く外国人の話はよく聞くし、商店街が騒音を流し、商店が騒音を流し... 

この差はどう理解したらよいのだろうと思う。表現の自由を主張する勢力があるのだと想像はしてみるが、肉声で語ることを認めて、拡声装置を禁止すれば充分ではないか。人々が寛容なのでなければ、騒音を野放しにすることで利益を得るところがあるのだろう。


ところで、公共の場で呼出音を鳴らすのが無粋なことだと思われて以降も、着メロとか着うたとかを売っていたように思う。あれは、誰がどういう状況で使うためのものだったのだろう?

2012/02/01

iPhone のバックアップ失敗

iPhone をローカルに復元する必要があって、iTunes にバックアップを取った。しかし、復元後に戻そうとしてバックアップが壊れていることが発覚。仕方なく、一週間前のバックアップに戻して、その間の整理をやり直した。

だが、寝てから考えたら、その間も iCloud にはバックアップがあったのだった。それを戻せばよかったはずなのに、思いつかず。がっかり

社会科見学

子供の学校では、昨年度まで近所の食品工場を見学していたが、その工場は昨年度でラインを止めた。小規模工場だったので、大規模なところに集約されたのだそうだ。
一年上の先輩からその情報を聞いたので、昨年度の内にその工場を見学することができたのだが、今年度はどこに行くのだろうかと、いろいろ推測していた。

結果は、電車の検車区であった。
学校から歩いては行けないのだが、電車で行くのは難しくはない。
事前にどんな質問をしたらよいかを議論し、答を聞いて帰って来た。今は長い列車ばかりだが、昔は五輛のものもあった由。
車輛の洗滌設備も見せてもらい、その印象が強かったようだ。
電車の絵入りの鉛筆と消しゴムを頂いて、大喜びで帰って来た。

食品工場は一般でも見学できたが、検車区は数少ない一般公開日に大混雑の中を見るしかないと思う。子供は両方見学できて、結局幸運であったようだ。

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