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2009年5月の31件の記事

2009/05/31

連続する書籍や雑誌の番号に使われる助数詞の「巻」。日本でこの語が使われるようになったのは、まだ巻物が存在していた時代なのだろうか? あるいは、中国から輸入した言葉なのか? 歴史的な理由でそうなっているのだろうが、意味を考えた時に疑問が湧いてしまった。雑誌では、月刊なのに「巻」は一年分を指し、毎月の一冊は「号」で表示されている。分割可能な巻って...

時代は下って、録音・録画テープやフィルムも巻で数えられるようになった。それは自然。テープがカセットに納められても巻と呼ばれるのもわかる。しかし、録画がディスクになっても「巻」と呼ばれた時、また違和感を持った。でも、綴じた書籍が巻で数えられるなら、録画ディスクが巻でも不思議ないか。録音ディスク、すなわち SP/EP/LP レコードや CD は、あまり「巻」と言われないような気がするが。

2009/05/30

SIer

System Integration のことを SI と略すのはわかるのだが、それに "er" を付けて SIer と書かれると、違和感がある。「エスアイアー」と読むらしいが、SI をする人は System Integrator ではないのだろうか?
Integrator であれば、略記すれば SIor になるだろうと思うのだが。

SIor と書いているところはないか探してみたが、ざっと見たところではみつからなかった。しかし、代りにこんな会社をみつけた:

株式会社システムインテグレータ

今も存続しているようだから、たいしたものではある。

2009/05/29

外国語教育

日本を去るインドIT技術者と日本語教育の問題

本題は深刻な問題だが、それを離れて目が止まったのが

■インド人・中国人の日本語能力は

のところ。

インド人は書けない、中国人は喋れない。日本語の試験制度には日本語能力試験とか日本貿易振興機構(JETRO)が実施しているビジネス日本語試験などがあるが、世界中どこの国でも同じ試験を実施しているにも関わらずこのような違いが出ている。文化的背景もあるだろうが、教育方法に問題があるはずである。

これは、日本も自らを顧みる必要がある。

インドの日本語学校では、筆者が見る限り日本語能力試験合格のためのみの教育である。しかしIT技術者はあまり見かけない。IT技術者は企業内で教育を受けているようである。ここでは「コミュニケーション能力向上」が叫ばれ、日常会話の教育が中心となる。日本に行って生活をするための会話である。しかしそれだけで仕事ができるわけはない。
中国の日本語学校ではどうか。ここには大学を卒業しても就職できない多くの技術者の卵が通う。半年で30万円もの授業料を払って日本語を勉強し、就職の武器にする。さらに能力試験2級に合格すれば就職の合格率はぐっと上がる。
だから中国の場合には「読む」ことが中心となる。それはそれで、徹底しているのでいい。しかしこれはプログラマーのための日本語である。そのレベルで日本に来ても仕事をするのは難しい。技術レベルも大学卒業程度、会話はさっぱりできない、それでは日本では仕事にならないということを教えてほしい。

私は、英語を中国式に習って、最後に留学生と実地に話す機会を得て喋れるようになった。しかし、日本の大勢はインド式を志向しているように見える。先にインド式をやることは害にはならないかも知れないが、今までやってきた中国式の教育を疎かにしてしまっては、元も子もないのではないか。

2009/05/28

スポーツ

子供の時に日本であったオリンピックは興奮して見たが、その後スポーツの勝敗に興味をなくした。個人を単位とした競技会ならともかく、国別に競技することにどんな意義があるのか疑問に思っている。

国同士の感情的対立があるとき、スポーツでは負けるっていう方が国益にかなう面もあると思うのです。

対立の有無によらず、国が対抗して勝敗を決めることに、害しか思いつけない。
自動車競技に明るい訳ではないが、エンジンと車体と運転手が別々の国から集まって一つのチームを作るという F1 の仕組を知った時、国の枠を越えていて安心して見られると思った。

2009/05/27

マルグリット

池袋でランチ。 マルグリット

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この価格でメイン二品は驚いた。

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赤ピーマンとトマトのバスク風スープ。右は二品が盛ってあった。目鯛のポワレに仔羊。

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2009/05/26

京王新線の機能を表す名前

先に「京王新線」という名前の問題を書いたのだが、この線を本線と呼び分けるのに、固有名詞があった方がよいと考えるようになった。

しかし、本線の「京王線」と地理的にほとんど離れていないために、呼び分けに使える地名がなかなかない。このあたりの住居表示の施行で消された地名に角筈 (つのはず) や淀橋があるが、調べてみると、南北の広がりがかなりあって、京王の二つの新宿駅を呼び分けるのには適当でないようだ。そう考えているうちに、この線に乗らないといけない二駅、初台と幡ヶ谷を並べる

  • 京王初台幡ヶ谷線

が、美しくはなくとも機能的な線名なのではないかという気がしてきた。現在、京王の構内では、「初台、幡ヶ谷へは 4 番線の京王新線」という案内がされているが、JR の構内ではそういう案内はされていない。しかし、線名は並べて案内されている (京王線、京王新線、小田急線) ので、そこに間違いの起きる二駅の名前を表示してもらうためには、このような手段に訴えるのも有効ではないかと思うのだ。 何か、現在の「京王新線」に付けるにふさわしい固有名詞があったら、教えて頂きたい。

それにしても、現場でも問い合わせが多くて苦労されていると聞く。三十年も今の線名と案内のまま放置してきたのは、信じがたい。

一方、新宿の駅の位置によって名前を付けるとすれば、

  • 新宿南線

という名前なら現代の人にも通じるかも知れない。甲州街道より南は渋谷区だが そちらの地名を付けると却って混乱するだろうし、「新宿南口」「サザンテラス」などは現時点ではわかりやすいが、施設の名前は永続性に難があるだろう。新宿南口の駅であることを匂わせつつ、将来南口がなくなっても通用する名前としては、「新宿南」がぎりぎりの線だという気がする。

 

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2009/05/25

ボーゲン

歴史的理由か、スキーの用語は、ドイツ語と英語が混在している。その中で、ボーゲンというのは Bogen つまり弓に違いない。

スキー用語【プルーク】と【ボーゲン】

の回答はほぼ当っていると思うが、元は同じだったに違いない Bogen と turn に別の色を付けられているのが、悲しい。

しかし、広く使われている「ボーゲン」はこれをはるかに越えてひどい。私が聞く用例の九分九厘が、「プルーク」の意味で使われている。色々な回転技術がある中で、「プルークを作ってボーゲンをする」ことを、特徴的な「プルーク」を残すのでなく、他と共通で特徴のない「ボーゲン」の方を残してしまう。スキーの初歩で、「ボーゲン」の意味を教えられないことはあっても、「プルーク」の意味は教えられていると思うのだが。

喩えて言えば、パーソナルコンピューターを略すのに、「コンピューター」を取るのでなく「パーソナル」を取るようなものだと思う。共用の計算機が溢れていて PC が珍しい時代ならば、PC のことを「パーソナル」と言うのもわかるが、「パーソナル」な電話も「パーソナル」な音楽プレイヤーも溢れている現代に、PC だけを「パーソナル」と呼ぶことはないだろう。

2009/05/24

ヘルシー

日本だけの現象ではないと思うが、ある種の食事を「ヘルシー」と言うことが増えた。おおよそ、低カロリーか低脂肪ということだろうと思っているが、ひどいものだ。
何が「ヘルシー」かは人によって異なるものだから、脂肪を摂ってはいけない人にとってそれが「ヘルシー」だとは思うけれど、多くの人はそんなことはないだろう。
単に食事の量の調節ができないから低脂肪の食事をヘルシーと言うなど、脂肪を摂る必要のある人に対する挑戦に思える。

私にとってヘルシーかどうかは、第一にエタノールが入っているかどうかで決まる。エタノールが入った飲料は、いくら勧められても私には毒だ。でも、他の人にはヘルシーかも知れない。百薬の長と言うくらいなのだから。
食物も同じことで、食べる人を特定せずに「ヘルシー」と称することがナンセンスと、人は思わないのだろうか?

2009/05/23

三月の大阪万博

私は、1970 年万博 (1970年3月14日 - 9月13日  ) に三月に連れて行かれた記憶がある。未完成の施設もあったので、空いている内に行こうという意図だったのかもしれないが、最近はたと理由に思い当たった。私はその年に小学校に入学したのである。

当時、新幹線で東京から大阪まで行くのは、かなりの出費だったに違いない。ホテルを取るのが大変という話で、京都に泊まった記憶もある。私の新幹線代は三月中は明らかに無料だったし、ホテル代も就学前なら安く上げられたのではなかろうか。旅行費用が大きく変るのは、小学校入学時、中学校入学時の二回だと思うが、家族旅行をする年齢層の中では、無視できない割合だという気もする。春の旅行は、三月の駆け込み需要がありそうだ。

2009/05/22

ドリアン

D

乾燥ドリアンの叩き売り。48 円也。

2009/05/21

リカバリする

PC 用語に、初期状態に戻す「リカバリ」という言葉が定着している。名詞として使う分にはよいのだが、その操作を「リカバリする」と言われると、違和感を持ってしまう。外来語を元にサ変動詞を作るなら、外来語の動詞の原型が語幹となるのではないだろうか? 
「ウォッチする」「チェックする」「ヒットする」、こう並べてみると、動詞と名詞の形が異なる場合が珍しいのか。しかし、「リカバリする」より「リカバーする」の方が自然に思えるのだ。

2009/05/20

日記「更新」

ブログでも SNS でも、日記の「更新」という訳のわからない表現がはびこっている。日記を消して書き換えるならそれは更新だが、ほとんどの人は、新しい日付に対する日記を今までの日記の後に書き足すのではないか? 敢えて言うなら「追加」だ。
新奇な言葉を持ち出さずとも、日記を「書いた」と言えばそれだけで新しい日記を書いたと思うのが、自然だと思う。それを敢えて「更新」などという意味不明な語で表現しようと考えたのは、いったい何者なのだろう。理解を超えている。

2009/05/19

ダイヤ

鉄道ダイヤ改正ニュース [東急]大井町線溝の口延伸、各停の大半は二子新地・高津を通過

このサイトには大変お世話になっているが、ダイヤ改正という言葉には引っ掛かる。ここに限らず、列車の運行計画のことを「ダイヤ」と言うことが多い。曰く

  1. ダイヤが乱れている
  2. ダイヤ改正

鉄道の業界用語として使う分にはよいが、旅客に対する案内、果ては一般人までがそう使うようになると、奇異に感じる。「ダイヤ」と言われて、ダイヤグラムのイメージが浮かぶ人は、どのくらいいるのだろう。

もともと列車の運行計画があり、それを二次元の図 '(ダイヤグラム) に表現して把握を容易にしたものが列車ダイヤだったはずだ。ダイヤは理解しやすいし矛盾も容易に可視化できるので、運行計画を立てるのにダイヤを用いるのは当たり前の方法だったし、今でも人が計画を確認する時にはダイヤの形式を使っていると思う。
しかし、ダイヤを公表することはほとんどなく、時刻表 (列車に着目したもの、特定の駅に着目したもの) の形に書き下したものを販売・掲示するのが、今まで続いて来た方法だろう。
ダイヤも公表するのが親切だと思うのだが、それでは手の内を晒し過ぎだと感ずるのかも知れない。駅の間のサービス水準の差・列車の間の差が明確になってしまうので、避けているのかとも思う。

ともかく、一般の旅客はダイヤに接することはないと思う。それなのに、なぜ「ダイヤ」という言葉を使うのか? 乱れるのは列車の運行で、改正されるのは運行計画ではないか。

  1. 列車の運行が乱れると言っても、実際には予定より早く走ることはまずなく、遅れていることを婉曲に言っているように感ずる。それなら、「列車が遅れている」で充分だと思う。追越や折返しを計画と変えているのなら、それは積極的な調整であって乱れではないだろう。
  2. 運行計画の改正は、そのままそう言えばよいと思う。どうしても片仮名が使いたいなら、スケジュール改正と言えば済むことだと思う。ことさらに業界用語を使わなくても、鉄道のスケジュールと言われて列車の運行計画以外の意味に取り得るだろうか?

月刊雑誌の「時刻表」を持って旅をしていた時代、列車の追越が表現されないので右にある列車が左の列車より先に来たり、読むのには細心の注意が必要だった。これがダイヤであれば、右の列車 (スジ) は左の列車より後に来ることがいつでも保証されているから、間違いようがない。
今は、時刻表形式のデータも見ずに乗換案内サイトの出した結果だけを信じて列車に乗るけれども、そこに示されたのよりも早い電車に乗れる時に、乗ってよいかどうか即断できず見送ることがある。こんな時、ダイヤを見せてくれたら一目瞭然なのに、と思う。

ダイヤという言葉を使うなら、本当にダイヤを見せて欲しい。紙の時代には大きくて困難だったことも、今なら電子的に必要な部分を拡大して見せることなど、訳ないだろう。

2009/05/18

スケジュール表

会議の予定を立てるときに、「スケジュール表をチェックしましょう」などのように「スケジュール表」という表現を聞くことが多いが、どうも奇異な印象が拭えない。A 氏のスケジュールに既に予定が入っているなら、会議はそれを避けて設定してくれればよい。しかし、その時にチェックすべきはスケジュールそのものであって、その表現形である「スケジュール表」は手段に過ぎないと思う。他者にとっては、表現形はどうでもよい。中身 (に干渉する予定がないこと) だけが興味の対象だろう。
なぜ、「スケジュールをチェックしましょう」と簡潔に言わないのだろう。

2009/05/17

ずる込み

最近知った言葉、「ずるこみ」。子供言葉だろうが、東京の言葉に出てきた。

東京育ちの小学生達の間では、たびたび 布団を 敷くvs引く、古敷vs風呂敷 で大激論。
「横入り」なのか「ずる込み」なのか「割り込み」なのかも揉める
60年代杉並では「割り込み」一色でした.

私も「割り込み」しか知らず、就職してから「横はいり」というのを先輩女性の口から聞いて、雅な語法だと思ったものだ。
それに対して「ずる込み」は直截な言い方で新鮮だった。

2009/05/16

パリ 4 区

ギャルリー・クープシュー が気に入ったので、ル・クープシュー にも行ってみようと歩いていたら、すぐ近くのパリ 4 区 に目が留まる。どちらも、新宿西口からすぐと言えるだろう。

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メニューを眺めていたらギャルソンに声をかけられて、おとなしく入った (^_^; (この写真は店を出た後に撮ったため、ランチのものではない)

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前菜の蛍烏賊は終っていて、白身魚と海老のテリーヌ。これもよい。

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ポタージュは薩摩芋。

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鶏のバルサミコソース。

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デザートは柑橘。

こちらが、Le coupe chou

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ランチは同価格で、競っているようだ。

ぐるなびではパリ 4 区を見落としていたのだが、調べ直して理由がわかった。ランチメニューが載っていない。
しかし、ランチも予約ができるそうで、電話の応対が聞えてきたが、翌日のランチもテーブルは満席カウンターがあと数席だそうだった。この日は一時過ぎに行ったのでカウンターは空いていて呼び込まれたが、直前まで満員だったのだろう。

2009/05/15

「新型」インフルエンザ

当初、なぜ「豚」の名称を使ったのか

「豚」に問題があるのもわかるが、「新型」というのもずいぶんひどい名前だと思う。仮にスペイン風邪を「新型」と呼んでいたら、91 年後の今、どう識別したらよいというのだ。もちろん、「スペイン」という名前は、相当に恣意的なものだった訳だけれど。

今回のインフルエンザが今年「発生した」と言ったら、たぶん正しくないのだろう。でも、2009 年に「流行した (する)」ことには間違いないのではないだろうか。ならば、「2009 年インフルエンザ」と呼ぶことに何か問題があるのだろうか? もちろん、「2009 年インフルエンザ」に第二第三の種類が表れる可能性はあるけれども、それらを番号を付けて区別することは、そう難しくないように思うのだが。
この命名の難点は、年末に流行が始まってピークが明らかに翌年にある場合だけれど、それはありのままに「X~X+1 年インフルエンザ」と呼べばよさそうに思う。スペイン風邪は、「1918-1919 年インフルエンザ」でよかったのではなかろうか? 

2009/05/14

ル・レガル・トワ

池袋で用があり、ぐるなびでフレンチを探してル・レガル・トワへ。

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ブランダード(鱈とジャガイモ)のグラタン仕立て トマトソース。メニューからイメージが湧かなかったのだが、美味。

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豚のソテー。こちらも美味い。

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満足した。





2009/05/13

SPYSEE

自分のサイトを見るために本名を Google で引いたら、こんなサイト http://spysee.jp/ に自分の項目があって、引っ掛かって来た。
私のように趣味のことしか書いていない人間の項目がある反面、Wikipedia に載っていてもこちらには項目がない方もあった。
単に公開のサイトのリンクを辿って「つながり」を調べているようだが、トリガは「誰かが調査依頼をすること」らしい。

公開情報の処理結果だろうし、今の時点では写真も間違っているし大した情報はないのだが、少々不気味ではある。

しかし、井上頼豊さん (故人、チェリスト) の写真に鈴木秀美さん (チェリスト、弟子) のものが挙っているのは、笑える。長谷川陽子さん (チェリスト、弟子) の写真も並んでいるし、演奏家のプロフィールから生成したのでこうなったのだろう。師事した人に挙がっている名前に近くにある写真を結び付けてはいけないというのは、音楽界だけの事情ではないと思うのだが、そういうルールも入らない粗末なアルゴリズムを使っているようだ。
また、同姓同名を分ける仕組がないようだ。鈴木秀美さんのところを見ると、音楽関係のものの割合が高いようだが、Wikipedia にあるもうお一方のデータも混ざっているようだ。

2009/05/12

小籠包

最近、「小龍包」という表記が蔓延していると聞いた。

小龍包じゃなくて小籠包> Google で小籠包を検索するとヒット数は約 12,000 件、Google で小龍包を検索すると約 16,700 件。

中国語はできないのだが、龍にはどんな音があるのだろう? 龍の入った包は、強そうで食べてみたくはあるけれど。

2009/05/11

疑似

「疑似」というのは、「擬似」の間違いかと思っていたが、「擬似と疑似」 の「回答番号:No.1」が大変よく、疑問が氷解した。

「擬似」の用例として服部南郭(不正確です)の文「…ことごとく擬似する能はず」を引いていました。しかし、これは「疑似赤痢」「疑似体験」というときの「疑似」とは別の語で、一つの項目にしたのは適切ではなかったと考えます。

出典まで当っていないが、この説明に肯かされた。

2009/05/10

田園都市線と目黒線

東急は、目蒲線を解体して東横線から目黒への経路を整備したり、田園都市線の起点を大井町から渋谷に移した後に再度大井町線を整備したり、主要路線にバイパスを設ける大規模な工事をしたと思っていたが、 ある掲示板で目黒線と大井町線に急行を走らせるのは、大岡山経由で田園都市線の溝の口から目黒へのバイパスを設けるためという意見を読んで膝を打った。 そのために、大岡山はあの構造にしたのか。

もちろん、目黒線と大井町線それぞれでバイパスとしての機能を高めるための急行ではあるのだろうが、大岡山で乗り換えて田園都市線から目黒線という経路は、思いつかなかった。京浜東北線方面へは大井町経由も現実的なのだろうけれど、地下鉄二本 (それもメトロと都営と両方) に直通している目黒線の利便性は高いから、乗車経路を変えようと思う旅客もあるだろうと思う。

東急にしろ小田急にしろ、輸送力増強のために積極投資する私鉄が羨ましい。

2009/05/09

私鉄の定期運賃

通勤路線の定期の割引率が低くて、Suica / PASMO の時代になってから定期を買ったことがなかったのだが、散々計算した挙句に初 FeliCa 定期。

しかし、計算した時に回数券料金を入れ忘れた。休暇を取らず、途中下車を活用しなければ、とても定期は割が合わない。

東急で一ヶ月が普通の何倍かを見ると、

距離 [km] 定期運賃    / 普通運賃 倍率
1-3 4200 / 120 35
4-7 5710 / 150 38.1
8-11 7210 / 190 37.9
12-15 7940 / 210 37.8

と短距離が妙に安いが、4km 以上で計算すると、回数券なら 42 回乗らないと定期の元が取れない計算。月に出勤日が 21 日あるのは、年に一回くらい.......

毎度切符を買わなければならなかった時代には存在理由もあったのだろうが、いまや通勤定期は鉄道会社にとって、葬り去りたいものなのだろうか? JR に限っては、割引率がもう少しよいようだが。

2009/05/08

むずい

さるところで「むずい」という若者言葉が話題になっていた。「むずい」「はずい」「きもい」。「きもい」は最近のものだと思うが、前二者は若い頃に使った覚えがある。幼稚園児が「きも!」と言うのも聞いたことがあるが、最初は意味が取れなかった。

「きもい」に違和感を持つのは、単に歳のせい、若いときに経験していないからかと思いかけたのだが、それだけではないのではないか。
「むずい」「はずい」は、途中の「かし」の欠落だけれど、それによって元の意味が失われていないと思う。それに対して、「きもい」は、「気持ち悪い」「気持ちよい」を識別する「肝」の部分が欠落している。単なる省略とは言えない言葉の軽視を感じて、気持ちが悪くなるような気がする。「むずい」の否定は「むずくない」だろう、たぶん....

そう言えば、もっと古典的な俗語があった。「まぶい

2009/05/07

発車案内音

敢えて音楽とは言わない。

駅の発車案内音に、曲の一部を使うところが増えた。最近では京急
今から思えば温かみのあったベルから無機質な電子音になっていたところに、独自の楽器音を使った発車音を導入したのは、JR だったかまだ国鉄だったかという頃の新宿駅だったように思う。

新宿のその案内音は、番線によって異なっていて案内の意図がわかったし、既知の曲でないところがよかった。しかし、広く知られている曲を使うところが増えて、不愉快にさせられる。
高田馬場がアトムのテーマというのは理由はわかるが、毎度同じものを聞かされたらたまったものではない。せめて一ヶ月限定くらいにして欲しい。
もっと古くからの、大井町がビバルディの四季だとか、恵比寿が第三の男だとか (ウィーンのつもりか?)、意味不明の選択も多い。大井町で、上下線が春秋と変えてあるのだけはどちらが発車するかがわかってよいかと思ったが、両方同時に鳴らされた時には叫びたくなった。

無機質な電子音もうるさいと思っていたが、時代とともに、さらに不愉快な世界になってきた。

2009/05/06

賞味期限

賞味期限のある商品が売れ残った時に、値引きして売り切ろうとする店と、最後まで定価を維持して廃棄してしまう店があるようだ。スーパーには値引きするところが多く、私は最寄のスーパーで毎晩のように -30%, -50% の食品を買っているが、コンビニでは定価のままというところが多そうだ (私自身は廃棄に回す現場を見たことがないが、見たことのある友人から話を聞いた)。
廃棄率を小さくして値引きを避けるというのも商売としては一つのポリシーだとは思うけれど、廃棄品が時に発生する売り方は、好きになれない。

同価格で賞味期限が異なる品が並んでいる時に、期限の近いものを買って行く人は、かなり高潔な少数派だと思う。多数は、期限の遠い品を棚の奥から探して買うのではないだろうか。廃棄を減らすためには、期限までの残り期間に応じて価格を下げる必要があると思う。
今は、値引きをするために値札なり値引き札を貼る必要があるけれど、レジで賞味期限を商品コードと同時に読み取れるようにすれば (バーコードでも、RFID でも)、残り期間に応じて自動的に価格が下がるシステムを実現することは難しくないと思う。

そうすれば、不公平感も減るし、古いものがよく売れるようになって廃棄率は自然に下がり、価格の下がり方の調節で廃棄率も変えられるだろう。そのようなインフラの下に、平均的な (ピーク的に超過する日はあるとしても) 廃棄率を一定値以下にするよう義務付けることもできるのではないだろうか?

2009/05/05

FeliCa 一日乗車券

先日、都内の一社のバスに五回乗る機会があった。三四回乗る機会は時々あるのだが、ある時「一日乗車券を PASMO / Suica 内に発行します」云々というアナウンスに気付いて調べてみたら、価格は五百円、PASMO / Suica の残高引き落としで使えるのだった。この会社は一回 210 円なので、三回乗れば元が取れる。五回乗った日はかなり得した気になった。

同じようなシステムは、都バスを始め何社かにあるようだが、最初に乗ったときに「一日券ください」と言ってから PASMO / Suica をタッチするだけ、買うのも手軽でありがたい。最初に使った時は、本当に一日券が使えているのか心配で乗るたびに表示を確かめたが、間違いなく「○月×日 一日券」と出て、金額表示は消えていた。

翻って PASMO / Suica エリアの鉄道では、回数券すら載せることができない。しかも、最近はこんな圧力も...

Suica,PASMO専用改札機の増加で回数券が使いにくい ~ 嫌がらせか

PiTaPa の柔軟な割引制度が羨ましいが、阪急が関東に進出してくれない限り、指を咥えて見ているしかなさそうだ。

2009/05/04

相互乗り入れ

東横線の副都心線乗り入れ予定を調べていたら、こんな記事をみつけた。

大混乱、東京メトロ副都心線 東横線は副都心線に乗り入れること無かれ 霞ヶ関も責任重大、永田町は何とかせい! 

全面的に賛成という訳ではないが、傾聴に値すると思う。
(ついでに、東京の公共交通の基本問題を書いた「公共無視「せこい」東京メトロと国:失政の上に莫大な利益・ああ東京に公益なし」 も)

私は、相互乗り入れ自体 (本来、鉄道会社が分かれているのがおかしいので、本質は直通運転する距離が長いこと) はすべき / 必要 (必要というのは、都心に起終点を設けるコストが高いから) だと思うけれど、例に挙げられている押上駅のように事故に備えて途中で折り返せる設備が必要なのに、貧弱な路線が多い。例では京成線―都営浅草線までしか言及されていないが、それに京浜急行も加えた三社の直通では、折り返し設備が整っていて、影響の波及が小さいと感じる。
逆に、東急田園都市線―半蔵門線―東武伊勢崎線では、見るからに貧弱な渋谷はもとより新設の押上駅ですら

wikipedia> 東武線からの半蔵門線直通列車は構造上の理由などにより押上駅での折り返し運転が不可能

だと言う。
JR の京浜東北根岸線は、単独の路線と考えてよいと思うが、折り返し設備の貧弱さでは半蔵門線系統と似たり寄ったりなので、問題の源が相互乗り入れ自体にある訳ではない。

設備を整えれば、相互乗り入れ / 長距離の直通運転によって一箇所のトラブルが全体に波及することは防げると考えるが、乗り入れだけに投資するのでなく、二系統が交叉する駅で対面乗換ができる構造にも投資すべきだと思う。関東の例で、京成の青砥、メトロの赤坂見附、表参道、JR のお茶の水、新宿 (中央総武線各駅停車と山手線)、戸塚、東急の大岡山のような駅、JR 以外の複々線はまともな対面乗換ができるけれど、そうなっていない駅・線 (JR の複々線) が多過ぎる。
JR は言うまでもないが、横浜市営地下鉄のセンター北駅とセンター南駅が、当初から二路線の並行する駅として設計されたようなのに、どちらでも対面乗換ができないように作ってあるのには、呆れた。

二路線はこの二駅の近くで交叉するのだから、交叉を二回に分けて対面乗換のできる北行きホームと南行きホームを作っても、全体の建設費に対するコスト増はそれほど大きいものではないだろうと思う。
半蔵門線と都営新宿線が開通した時、九段下と神保町で同じことを思ったが、「都営と営団だから仕方ないのか」と納得してしまっていた。それが原因で対面乗換ができないなら、本末顛倒。ここは二線が交叉する訳ではないし、地下なので既設線との干渉があるが、せっかく並行路線があるのなら、赤坂見附のように設計して欲しいと思う。

2009/05/03

番組

番組という言葉、私が最初に接したのはもちろんテレビ番組の意味でだった。しかし、元の意味、能、狂言の番組 を知ってしまうと、意味のずれが気になって仕方ない。つまり....

元々、一つの演目が番で、それを組んだ表が番組だった。その言葉をテレビの世界に持ってきたのは、気の利いた転用だったと思う。しかし、この言葉が広まる過程で意味を考えなかった人がいて、

  •  番 -> 番組
  •  番組 -> 番組表

という誤用が生じたのだろう。「番組表」という重複表現を見るたびに、情けなくなる。

2009/05/02

一眼

「一眼」という言葉を単独で聞くことが増えた。一眼レフを指すのだろうとは思う。しかし、今の時代、二眼のカメラの方が珍しい。

「デジ一」という言葉も聞く。当たり前だ。二眼のデジタルカメラなんて聞いたことがない。フィルムカメラだからこそ二眼が必要で、そのために鏡 (レフレックス) を用いた。その構造を基に鏡を可動にして一眼のカメラを作ったところに価値があったのではないか。
そんなことを言うなら、携帯電話のカメラだって web カメラだってデジ一だ。

長い言葉を略したい欲求はわかる。しかし、元の言葉の特徴部分を全く切り捨ててしまって違和感を持たないのは、なぜなのだろう? 今のカメラの市場構成の中で一眼レフを特徴付けるのは、一眼ではなくてレフレックスだろうに。
そして、ここはカメラ好きな人からは反論がありそうだが、新たに売れる一眼レフではデジタルの方がフィルムより多く、わざわざデジタルと強調しなければならない場面は少いのではなかろうか。


しかし、コンパクトカメラに対して一眼レフカメラを特徴付ける、最大の要素は何だろう? レフレックス構造? レンズが交換できること? それとも、量的要素で、画像センサが相対的に大きいこと?

2009/05/01

飲酒滑走

法律には大穴があるけれど、飲酒運転が殺人行為に等しいという認識が広まった (だからこそ、法の網をかいくぐりたい犯罪者は一旦逃げる) こと自体は喜ばしい。

しかし、その認識をスキーに当て嵌めることのできない飲酒スキーヤーが絶えないのは、なぜなのだろう。自損事故率が高いという点に差があるくらいで、他人に危害を及ぼす危険度でも致死率でも、自動車に劣るところはないと思う。
集団としての飲酒者は、法律によって罰が目に見えるようにならない限り、行動を変えないということなのだろうか?


子供にも、スキーの楽しみを覚えて欲しいと思う。しかし、身の回りで飲酒滑走の話を聞くような環境では、子供をゲレンデに出すことに恐怖を覚える。法制化などとても期待できないこの国で、アルコールフリーを売りにするスキー場はできないものか....

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