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2007年7月の18件の記事

2007/07/30

カツラ

子供を連れて、母に会いに行く。
シャボン玉で遊んでくれた。

入院前に、カツラを買いに行くことにしたそうだ。


2007/07/26

治療受容

受診に付き添い、助教授から説明を受ける。

・子宮の状態はよく、癌を取り切れている。癌の性質も、いちばんよい高分化腺癌。
・腹水に癌細胞があったので、退院時に IIIa 期は確定していた。
・リンパ節は、52 個を取り、うち 2 個に転移があった。これで、IIIc ということになった。リンパ液中を癌細胞が巡っている状態で、全身病なので、追加療法が必要である。
・抗癌剤は、月一回、1-2 日入院ないし外来治療で、六回。かなりの率で治癒する。一回目は、アレルギーが出ることがあるので、入院を要する。週一回白 血球検査をする。使うのは、カルボプラチンとタキソール (坪井病院の説明している TJ 法は、これを指す http://www.tsuboi- hp.or.jp/main/HTML/RESULT/sikyutai.html)。世界的に第一選択となっている。元々卵巣癌に使われており、子宮の 腺癌にも使われるようになった。充分な数の症例がある。
・副作用として、脱毛、手足の痺れがある。脱毛は、一週間で少しずつ起きる。
・リンパ浮腫を防ぐため、リンパ管を傷付けない取り方をしている。現在むくんでいないので、たぶん心配はない。
・再発は、六ヶ月の治療後も、三ヶ月おきに外来で検査をし、内診、CT、MRI、腫瘍マーカー (血液検査) で発見する。
・退院時に抗癌剤治療方針を説明したのは、IIIa が確定していたため。

抗癌剤について、試行錯誤という言及があり、それについての説明は、整然としてはいなかった。しかし、薬を替える可能性は低いという説明だった。

母は、治療を受けることに同意した。初回は、来週の金曜に治療とし、前日にアレルギー検査をするのと、早朝入院ができないため、二泊とする。二度目以降は外来治療となる。

退院時の説明には、不備を感じる。III 期であるという説明は、されるべきだったろう。
リンパ浮腫についても、看護師は予防の冊子を渡しているのに、医師が、質問するまで何にも説明しなかったところに、疑問を感じる。しかし、チャイさんが教 えてくれた東大病院のリンパ管をつなぐ手術、茶子さんが教えてくれた http://www.lymphedema.jp /subindex_04.html の細静脈吻合手術と、同等の処置をしてくれたということなのだろうか。今は、今日の説明を信じつつ、観察を怠らない のがよいだろうと思っている。

2007/07/25

意思

午前に本人から電話あり。両親で話し、もう治療は受けないと決めたという。父は、病院に対する不信を強めていると。

妻には、明日から入院して治療の可能性を話してあり、娘が祖母に会いたがるので、今日行こうと思うと言っていた。
電話のことは、聞かなかったことにして、二人で母に会いに行ってよいか訊いてみると言う。それが母の生きる意欲に繋るのを期待する。

夕食近く、妻からメール、母が娘に鮨を取ってくれるから合流できないかと。行って、父母と話すことにする。

私は治療を受けて欲しいと思っていること、昨夜担当医から聞いた治療方針を、父にも話し、病院の事情も仕方ないと思っている旨説明する。

母は、私もいい大人だから、自分が一、二年長生きしなくてもいいだろう、と言う。
私にとっての一年はそうだとしても、娘にとっての一年はとても大きい、長生きして欲しいと答えた。
母は、娘が死を知ることも必要だと言うので、私の場合は、十五で死を知ったと言った。

最終的には、治療を受ける気になってくれた。明日の受診で、説明する助教授が信頼に足る人物か、よく見極めようと。

帰宅後、既に調べてあった、子宮体癌の症例の多い、東北の病院のデータを読み直した。TJ法という二剤併用法が、最近選択肢に入ったという。これと、昨夜聞いたタキサンが、同じ治療法を指すのか不明。
現在の院でTJ法を提案された場合に、薬の量などに関してノウハウが必要になるものかどうか、また、転院し得るものか、質問のメールを送った。

2007/07/24

IIIc 期

加圧ストッキングと本を届けに行ったちょうどその間に、病院から電話があった。母に代って医師の話を聴くことができ、だいぶ情報が得られた。

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まず、III 期であると言われ、転移があったことを悟る。そうなると、化学療法の必要性もわかるので、薬の種類を訊くと、煮えきらない。しかし、それは紹介経路のせいで、助教授から話をすることになっていると話してくれたので、今日の話は聞かなかったことにすると言って、率直な意見を訊けた。今までの歯にものの挟まったような話しぶりも、これで理由がわかった。知人の伝手を頼るのも、考えものだ。

リンパ節転移があったという意味であることを確認すると、去年期の定義が変わったことと、IIIc 期だという診断を、やっと教えてくれた。

治療に使う薬はTC剤。白金剤の欠点を補う性格の薬だという。それを月に一回半年間。退院時、一週間入院という説明に、母は落ち込んでいたのだが、それは初回で経過を見るためで、次からは外来治療も可能だし、初回も経過によって、一週間はかからない可能性もあるということだった。

治療しなかった場合の、再発の態様も尋ねた。問題のリンパ節付近に出る場合、肺への転移が明らかになる場合などが考えられるそうだ。どのように発見するかを訊くと、一年目は一ヶ月ごとに検査通院し、血液検査、腫瘍マーカーで調べると言う。

最後に、リンパ浮腫についても訊いた。退院時に問題がなく、当面心配ないという説明。ストッキングで予防ということは、言われた。これも発見方法を訊くと、定期検査時に診るということ。

今まで持っていた不信感が拭えたのはよかったが、せいぜい I 期という期待は、甘かった。これから、苦しい半年になるだろう。

2007/07/23

情報収集

セカンドオピニオンを求める先を探すため、本屋を見る。抗癌剤の使い過ぎを訴える本も多いが、まず、この一冊を買った。070723_181401

一方、一般に売っている加圧ストッキングを買ってみる。穿きやすいとよいが…

2007/07/22

弾性ストッキング

今後の治療方針について話すため、実家に行く。母は、歩き過ぎて具合が悪くなったことがあるようだ。

退院した日に、リンパ節の顕微鏡検査の結果によらず化学療法をする方針を示されている。それに対する疑問から、子宮体癌の治療方針を書いたサイトを探して印刷しておいた。それを読んで、検査結果が良好なら、化学療法を採らない方がよいと、父母共に判断していた。
病院の医師が、使う薬について質問しても、的確な答をしないということで、セカンドオピニオンを求めることを提案した。検査結果を聞く時に同行して、その件についても話すことになろう。

一方、リンパ浮腫の懸念について話したら、母は、退院時に「むくみを防ぐために」という冊子を、看護師から渡されていた。しかし、医師からは何の説明もな く、母はその重要性を認識しておらず、読んでいなかった。両親に読んで聞かせ、母が病院から持ち帰っていた、手術時に使った弾性ストッキングを、早速履い てもらった。一安心。
だが、リンパ浮腫のページを探したら、「むくみのページ」というところに、起きている間、原則として一生使うこととあった。癌の方がよい結果となっても、浮腫が現実に起きたら、辛いことになりそうだ。

2007/07/18

耳管開放症

耳管開放症を訴えている。大きな体重減少はないそうだが、手術、入院の影響と考えるべきなのだろうか。

2007/07/17

退院

本日退院。

見た目は元気だが、ショックを受けていると言う。
退院時に化学療法の計画を聞かされ、半年間、月に一週間入院と言われたそうだ。副作用として、脱毛もある、と。
入院前の説明では、一泊入院で済むという話だったし、副作用にも触れなかった。

父は同席したのだが、患者の身になっておらず、役に立たないばかりか、神経を逆撫でするばかり。
退院後も、足手まといにしか見えない。

病理検査の結果によって、次回の受診が決まるが、同行して話を聞く必要があるようだ。

2007/07/15

リンパ浮腫のこと

母より電話。連休で体制が薄く、とても 7/16 に退院できそうにはないとのこと。

一方、知人から、リンパ浮腫にならないよう祈る、と言われ、初めてその名を知った。
調べてみると、知ってください リンパ浮腫のこと http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/iryou181rinpafushu.htm
「さしたる効果はないので、リンパ節切除は控えめに」というのが日本では非常識であるらしい。手術前に、この点について医師と議論しておきたかった。もっと早く、知人にこのブログのことを知らせておくべきだったと思う。

2007/07/13

胃痛

昨晩は、胃痛で、薬も効かず眠れなかったと言う。
しかし、退院は月曜か火曜になりそうだ。家事支援を求めるべきかも知れない。

2007/07/11

ドレイン取れる

昨日、傷口のドレインが抜けたという。食事も普通食になっていた。

夜中に傷口から液漏れがあったそうだが、今日の回診では、術後二週間で退院できるかも知れないという話だった。
退院後の方が、手が必要になりそうだ。

2007/07/09

五分粥?

今日は点滴が漏れたそうで、針がなく、楽だと喜んでいた。明日はまた刺すのだろうが、束の間の休息。

食事は、だいぶ固くなって来たと言う。5△の表示。五分粥の意味か?
米以外は普通のおかずなのが、不思議だと言う。全く。蕗の煮たのは、好物なのだが、塩辛くて食べられないと言う。困ったものだ。薄味にして、醤油で調節できるようにして欲しい。
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ベッド上のテーブルが、高くて食べにくそうなのに気付いて下げたら、低くなることに気付かなかったと言っていた。病院に充分な配慮を期待するのは、無理というものか… 食べやすい体制を作ることを担当する人が、存在しないのだろう。
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下膳にカートまで持って行くが、最近よくある温熱分離型ではない。

2007/07/07

洗髪

今日の昼、重湯から米粒のある粥に。おかずも付く。長い絶食明けで、全部は入らない。
今日は、点滴の合間に、手術後初めて洗髪する。シャワー付きの流しに行って、洗うのを手伝ったら、さっぱりしたと言っていた。

2007/07/06

流動食

今朝から、経口栄養併用。まだ固形物はない。

2007/07/05

禁食四日

今日は鼻のドレイン(胃)が取れていた。しかし、禁食のまま。
訊くと、今日は大きな手術があったらしく、医師が一人も病棟にいないのだと言う。それで、禁食を解くことができなかったらしい。
傷のドレインはそのまま。まだ赤い。

点滴をしているので、空腹ではないと言うが、早く食べられるようになって欲しい。

大手術の患者さんの経過がよいことを、祈る。

2007/07/04

禁食続く

病院に行ってみると、点滴が取れている。訊くと、今日の分二本が終ったので外してあるということで、針は残してある。

ドレインは残っている。今日も禁食。鼻のドレインが抜ければ食べられるという。

しかし、手術前に食事が塩辛くて閉口していたので、早く食べたいという渇望感はないらしい。減塩食に変えてもらえないか、リクエストした。また、本人は朝食にパン食が欲しいと要望した由。

音楽 DVD を持って行ったら、これで時間がつぶせると喜んでいた。だいぶ退屈しているようだ。

2007/07/03

歩く

仕事の後で病院に行く。母は病室に戻っており、ベッドを起こしている。

点滴、麻酔とドレインが残っているが、導尿ははずれ、歩いてトイレに行く練習を始めているそうだ。

点滴が皮下に漏れて腫れていた。反対の腕に刺し直す。

鼻から入っているドレインを意識するようになり、喉が苦しいと言う。痛くてもよいから抜きたいと言うが、長引くといけないから、と制止される。

今日も禁食。
水を飲めるようになったので、買っておいたお茶を飲んでもらう。

孫のビデオを持って行ったら、それを喜んで見た。

2007/07/02

子宮卵巣切除

九時から手術

母は 8:10 に病室を出て、車椅子で手術部へ。六時間の予定。

父と待機し、交替で食事に行くが、私が戻る直前に医師から説明があったと言う。一時前。
摘出は終って縫合中。転移の疑われるところが一箇所あったが、顕微鏡検査で判定とのこと。

二時過ぎに、ナースステーション脇の集中監視室に母が戻ってくる。意識は既にあり、痰が出ると言う。看護師は、すぐに痰が出せるのはすごいと言う。

患者に付いている管は、
導尿、患部、鼻 (食道か?) からのドレイン
点滴、脊椎 (位置不明) への麻酔
酸素マスク
指先の脈拍 (?) センサ

電気毛布をかけられており、最強-1 になっいるが、「寒い」と震えている。
話せるが、論理に多少の齟齬がある。

手に触れると、「暖かくて気持ちよい」と言うので、両手を握って暖める。一時間ほどで暑いと言うようになったので、電気毛布を切って、布団をよける。同時に、顔に生気が戻ってくる。

喉の渇きを訴え、看護師がうがいをさせてくれるが、飲み込むことは許されず、焼け石に水。

回診に来た医師が、手術の説明をしてくれる。大きくなっていたリンパ節は、目視では転移がなく、顕微鏡検査に回した、と言う。その結果が出るには、二週間かかるとのこと。

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