2018/07/01

電車と呼ばれるディーゼルカー

「鉄道のディーゼルカーが電車と呼ばれることが多い」
ことが話題になっていた。電気自動車も電車と言えるだろうし、発電機と蓄電池を積んでいて発動機を止めて走る場合もある鉄道車輛もあるだろうし、呼び名の境界はぼやけて来ている。

今までで一番違和感を持ったのは、新橋発の「ゆりかもめ」型の新交通システム (普通の呼び名とは思えない名前だ) を「モノレール」と呼ばれた時だ。しかし、初めて接するものを何と呼ぶか、どこに分類するかという人間観察だと考えると、俄然興味深い話になる。
ゆりかもめは、電車でも列車でもあると思うが、「鉄道ではない」と強く訴える何かを持っているのだろう。それは、ゴムタイヤを使っていることなのか、東京には珍しい天井まで届くホームドアなのか、あるいは…
札幌の地下鉄はどうだろうかと考えたが、「地下鉄」で終わりだろうと思い至りがっかりした。

私が誤解したのは Funicular という呼び名。日本語で言う「ケーブルカー」が、フランスのスキー場でそう書いてあった。それを見て頭に浮かんだのは「フニクリフニクラ」。固有名詞が普通名詞化したものと思い込んだが、順序が逆だった。

Funicular より:


Funicular of Le Tréport, France
A funicular (/fəˈnɪkjʊlər/) is one of the modes of transport, along with a cable railway and an inclined elevator, which uses a cable traction for movement on a steep slope.
...
The funicular on Mount Vesuvius inspired the song Funiculì, Funiculà, music composed by Luigi Denza and lyrics written by Peppino Turco, in 1880. Unfortunately, that funicular was wrecked repeatedly by volcanic eruptions and abandoned after the eruption of 1944.


2018/05/13

JR 北海道が苦しいわけ

1 三島会社の赤字と本州三社の黒字

JR 北海道の経営問題が突出して見えているが、その理由を聞いた。

経済に明るい方が確かめて下さると有難いのだが、おおよその説明をしてくれている 2011 年の記事を後で引用する。

国鉄を解体した時に、収益源のない三島会社 (北海道、四国、九州) の経営を安定させるため、経営安定基金を与え、その運用益で営業損失を穴埋めする設計になっていた。

しかし、当初は 7.3% の利率が設定されていた (分割された 1987 年はバブル期) が、その後、利率が下がり、現在はほとんど 0 である。なので、営業損失が埋められなくなり、そのまま赤字になっている。

一方、本州三社 (東日本、西日本、東海) は、首都圏、関西圏、東海道新幹線という収益源を持っているので、三島会社と逆に金利を負担して収支が合うように設計された。

しかし、金利が下がったためにその負担が減り、その分が純益となっている。

引用記事[1] は、三島会社の経営設計の問題を指摘するものだが、旧国鉄の運営持続という観点からは、分割の仕方が間違っていたと考えるべきと思う。

利率が 7.3% で固定されているという誤った前提に基づいた設計。分割時より前の時代には金利はそれより低かった[2] にも関わらずそう設計したのが誤りで、それを正す必要があった。今からでも直さないと、北海道と四国は倒れてしまう。九州が倒れない仕組は次項で紹介するが、ここではその仕組がないものとして三島会社を一括して扱う。

経済の門外漢である私に思いつける対策は以下に書く程度。経済の専門家のご意見を頂きたい。

利率の変動によって増減する、三島会社の運用益と本州三社の金利負担を通算して、鉄道経営で生じる損益に合わせる。少なくとも分割時に決めた営業損益に合わせる。

実質的には、分割したことが誤りで、地域分割をやめるべきだと言っていることになると思う。

2 JR 九州の黒字要因

1 で三島会社の収支が合わないと書いたにも関わらず、JR 九州は上場するに至った。

その仕組は、新幹線が黒字を出すように需要予測を意図的に下げることだったそうだ。

予測収入を小さく見積もることで、それに依存して決まる線路利用料を低く抑えて貰った。実際の輸送人数は事前の予測値を大きく上回っているので、差が利益となり、収支が合った。

こちらの文献はまだ探していないが、1 が広く知られることが重要なので、内容未完成のまま記事にする。

3 赤字黒字問題が隠されているわけ


1
で書いた三島会社の赤字と本州三社の黒字の発生理由は、制度設計がわかっている人は知っている。しかし、その人達は、どこかで JR と利害関係があり、公に発言できずにいるそうだ。

5/14 追記

5/8 に東洋経済がこの記事を載せていたことを、後から知った。

石破茂が指摘する「日本に必要な鉄道政策」

人口減少社会でも地方鉄道は活性化できる


文献


[1] JR三島会社の経営安定基金のからくり


それぞれの会社を独立の経営主体と見たら、「おかしい」のはその通りだろう。

日本の基幹交通機関の一つとして鉄道を維持するべきと判断するかどうかに掛かっている。もし、鉄道を重要な貨客輸送手段だと判断するならば、各部門、地域の収支は明朗にした上で、赤字になる部分を補助する制度設計が必要な筈だ。

/ 当初は、その金利は、7.3%に設定されていたのです。その後、金利低下とともに引き下げられて、1997年度からは4.99%2002年度からは3.73%というふうに、5年ごとに見直されてきました。2007年度のときは、本来ならば引き下げられるべきだったのでしょうが、JR三島会社に対する新支援制度ということで、3.73%に据え置かれたのです。現在、機構の資料に、金利が3.73%と表示されているということは、4.99%の借入れは残っておらず、過去9年の間に、全て3.73%のものになったということだと思います。

 さて、来年度、2012年度以降はどうなるのでしょうか。また、3.73%に据え置くのでしょうか。それとも、引き下げるのでしょうか。いずれにしても、国民に広く知られることなく、行政の問題として処理されるのだと思います。しかし、これは、事実上、税金を使った補助金なのです。これでいいのでしょうか。

 そもそも、仕組みがおかしいでしょう。機構は、JR三島会社を所有する法人なのであって、いわば親会社です。JR三島会社は、子会社です。その子会社に巨額な経営安定基金を設定し、その基金から親会社である機構が高利で借入れる。その金利が、JR三島会社への補助金になる。巧妙といえば巧妙ですが、非常に不明朗な話ではあります。

JR四国についていうと、経営安定基金の大半を機構へ貸付けている実態に、変化がありません。JR四国は、全くもって、経営安定基金依存、機構からの実施的な補助金依存の経営体質です。

 JR九州は、そもそもが、経営安定基金への依存度を引き下げていますし、基金の運用についても、機構への貸付金の比重を大きく引き下げてきています。それにつれて、経営安定基金の運用利回りも、順次低下しており、20113月期には、2.86%になっています。ということは、機構向け貸付金以外の運用利回りは、1%台と推計され、特に無理な運用はしていないのだと思われます。このまま、機構向け貸付金の量と利率が低下していっても、耐えられるような体質へと、経営改革が進んでいるのです。

 わからないのは、JR北海道です。3年前までは、JR北海道の経営安定基金のうち、7割くらいが機構向け貸付金だったのですが、直近ですと、その割合は、45%にまで低下しています。にもかかわらず、基金全体の運用利回りは、低下していない。ということは、機構向け貸付金以外の普通の資産運用でも、3%程度の運用収益をあげていることになるのですが、はたして、そうした収益率を安定的にあげることは、可能なのか。私には、無理のように思われるので、非常に関心のあるところであるわけです。

[2] バブル時代の銀行融資の金利「住宅ローン8.9%」まで上昇した結果

バブル期のいつが金利のピークだったか、制度により差があるだろう。

1987 年に決めた 7.3% という値はピークよりは低かったかも知れない。しかし、その差は気休めにもならない。

/ 1990年(平成2年)の後半に、住宅ローン金利は8.9%まで上昇しました。

[3] 上場したJR九州はどこまで利益を増やせるか 固定資産を一括減損して、鉄道黒字化果たす

この記事からすると、2 で書いた黒字の源を、九州は途中で返上したことになりそうだ。

黒字の源に人為的操作があったことを指弾される前にその状態を終わらせ、綺麗になった所で上場したようにも思える。

1 の問題を 2 で潜り抜けて上場に持ち込んだのは、見事に見えるが、残りの二島会社の問題が表面化するのを先送りにした弊害があったかも知れない。

/ 経営安定基金の使い道として、まずは九州新幹線(鹿児島ルート)の使用料が一括返済された。九州新幹線は全国新幹線鉄道整備法に基づいて建設された「整備新幹線」。線路などの建設を国が行う代わりに、年102億円の使用料が国に支払われる。これが新幹線事業の足かせとなっている。

2018/04/30

廣田幸夫と Henriette Puig-Roget と渡辺逹

小学校の時に、近所の英語塾に週一時間だけ通っていた。その先生は YWCA と関係があったようで、一度御茶ノ水の支部 (?) に行ったことがある。

その先生には私の一年上の息子さんがおられて、後に私も通うことになる男子校に入られた。

一方、私は五歳の時にピアノを習い始めたが、初めて楽器というものを意識して魅力を感じさせてくれたのが、新八犬伝主題曲だった。

ここの pizzicato を聴いて「この楽器が好きだ」と思い、親にそれはコントラバスだと教えられた。今、聴き直してみると「違うか?」とも思うけれど、その時はコントラバスを弾きたいと思ったものだった。調べてみると、1973 年。四年生になった時に、コントラバスという楽器を知ったことになる。

おそらく、その後に音楽の授業で白鳥を聴いてチェロを知ったのだと思うが、その時にチェロを弾きたいと思うほどの魅力は感じていなかった気がする。

(新八犬伝書庫)

さて、そこへ英語塾の先生のお子さんから、その中学ではチェロが習える、という話が舞い込んできた。そこで、親に「チェロもコントラバスも仲間だ」と誘導された記憶がある。それは六年生になってからのことだったが、それを種に受験することになり、進学教室に通う身となった。

いざ受験となると、その私立校だけでなく国立の男子校も受けることになり、当初の志望はどこへやら第一志望は国立に転んだ。家の経済状態を心配したところは、あったかも知れないけれど。

そして、二月の受験。私立が先にあり合格。後の国立は一次は通ったが、二次の作文で落ちた。

(その作文は「美しいと思うもの」という題で書かされたのだが、後年、そこの出身者がその年の優秀作品を教えてくれて、それは敵わないと思った。その作品は、山に登ってご来光を迎える様子を描写したものだったと言う。自分が書いた作文があまりに子供っぽくて、思い出すのが嫌になった)

そうして国立に落ちたおかげで、晴れて四月からチェロを習うことができた。

学校にある楽器は四挺だけ。その年は希望者が多くて籤に外れ、最初から楽器を買わなければならなくなったが、親がそれは買ってくれると言った。私立に通わせるだけでも大変だっただろうによく出してくれたと思うが、Karl Höfner の中古の楽器が十八万だったか子供には天文学的に思える額、それに弓が三万八千円だったことの方を鮮明に覚えている。

そこでチェロを教えて下さったのが、廣田幸夫先生である。今そのお名前を探してみても、音楽家になった先輩お二人、樋口 隆一さんと茂木 新緑さんの profile にそのお名前があるのが引っ掛かるのがやっとだが、芸大の先生が非常勤で週に二日教えに来られていると聞いていた。火曜に中一を一学年六組それぞれ一時間と、土曜に高二の音楽選択者を三、四時間。

当時はこの学校には定年がないように聞いていたが、廣田先生は相当年配であるように思っていた。しかし、逆算してみると今の自分より僅かにお若かったことになる!(◎_◎;)

先生には、中一の間は週に一度十分間の休み時間だけレッスンを受け、二年生からは始業前にもう少し長く教えて頂いた。始業前に数人レッスンして頂いていたのに順番を決めた記憶がないのだが、冬は暗い時間に家を出て、中央線で夜明けを迎えて学校に着いてみると、先生が先にいらして燈油ストーブで部屋を暖めて下さっていて、申し訳ないと思いながら同じことを繰り返していた気がする。

先生に習ったのは、チェロと音楽部の活動としての男声合唱。音楽の授業でリコーダーは習ったが、それ以外には器楽を習ったことはなかった。オーケストラをやりたいと言ったことがあるが、それをやるには各楽器の先生を呼んできちんと習わなければいけない、その機は熟していないと言われたように思う。

せいぜい、初めて弾いた室内楽、モーツァルトのフルート四重奏を北軽井沢 (!) の合宿に持って行ったら、上の E の音をその時点で習っていた第四ポジションで取っていたパート譜に、運指を書いて下さった。第一と第四ポジションしか知らなかったのに、第二も第三も使った、全く「子供向け」ではないまともな運指だった。

高二の音楽の試験は自由選択曲で、弾いても歌ってもよかった。私は、チェロはいつもレッスンで弾いているのでそれを改めて授業の試験で弾こうと思いつかず、陸上部に居るピアノ弾きを捕まえてモーツァルトの二台のピアノのソナタを弾いた (「のだめ」は懐かしかった!) のだが、試験の後でぼそっと「チェロを弾いてくれなかったな」と言われて、初めて先生の心を知った。後悔先に立たず。楽器を二つ弾いていたための失敗であった。他のすべての場面で両方続けていてよかったと思ったのだが、この時ばかりは。

さて、私は卒業するまで廣田先生に習えたのだが、その後割とすぐに、先生は中高に教えに来ることができなくなった。後で音楽部の顧問だった先生に伺ったところによると、芸大の弦楽器科に海野さんを呼ぶ時にそのポストを空ける必要があり、廣田先生がソルフェージュ科に行かれることになったのだそうだ。生徒への説明は、芸大で教授になられるので、もう非常勤で来られなくなる、というものだったと聞く。

こちらは大学で管弦楽団に入ったが、そこでは各自の楽器の個人レッスンを受けることが入団の条件だった。その有難い (教育的な) 条件を満たすためもあり、積極的に個人レッスンにお宅に伺うことができた。中高時代、学期中は時間に制約があったから、大学に入ってからの方が濃密にレッスンを受けられた。

今調べると、カンダ・アンド・カンパニー の事件があったのが高三の冬なので、レッスンに行けずに悶悶としていたのが大学一年の時だったことになるが、吉田秀和の批判のおかげか、管弦楽団で肩身の狭い思いをしないで済む程度の時期にレッスンを再開して頂けたのだと思う。

その後、修士論文だったか博士論文だったかで忙しくなったあたりでレッスンをやめてしまったが、西武線で実家から四駅という地の利があり、同窓の管弦楽団員の中で一番多くレッスンに通ったと思う。

先生は、レッスン代を取って下さらなかった。それは奥様の意向だそうで、戦後の苦しい時代に教師を校内に住まわせてくれた学校に恩義を感じ、戦後三十年以上後の我々からも、卒業後であっても取って下さらなかった。

さて、ソルフェージュ科に行かれた先生から伺ったのが、Henriette Puig-Roget 先生のことである。

「ロジェ先生」と呼んでいらしたが、先生を芸大に呼んで来たのが自分の最大の功績である、と口癖のように言われていた。

中高に非常勤で来られなくなってからも音楽部の指導にはいらしていたのだが、その演奏会にロジェ先生も呼ばれたそうだ。

廣田先生が作曲科の先生に委嘱されたのだったか、詩篇の男声合唱を初演したと伺ったように思う。それを始めとする合唱曲を聴いてもらうのが主だったのだろうと想像するが、私にとっても大先輩の渡辺 さんのピアノを聴かれたロジェ先生が、「彼のピアノは立派だ」と言われたと、後年聞いた。

私が中高生の時にも一度、廣田先生と (渡辺) 逹さん達先輩で、シューマンのピアノ五重奏を弾かれたことがあった。OB が自然に演奏会に参加する音楽部だった。廣田先生の教え子が年に一人はいたから、器楽ではチェロが余る部だが、足りない楽器に OB を呼んでブランデンブルク協奏曲も 4, 5, 6 番は弾いたし、2 番は後輩が弾いた。ただし、2 番のトランペットはクラリネットが吹いたそうだ。

廣田先生は、一昨年の同窓会でお元気で、昨年もいらしたそうだがこちらが上を下への大騒ぎで出席できなかった。

逹さんは、2012 年に急逝され (訃報)、先生は大変嘆かれていた。もちろん、我々も落胆し、学校の食堂で開いた会は、卒業以来会っていなかった人にも沢山会った。

計算すると、14 年上の先輩ということになるが、音楽部の毎年二回の演奏会には必ず来られて各曲にコメントを下さった。そして、おそらく廣田先生が非常勤講師として来られなくなってから特に、音楽部の活動を支えて下さって、幅広い同窓生がお世話になった偉大な先輩だった。

亡くなる前年に吉祥寺で音楽部の同窓生の集まりを企画して下さり、そこで私はずいぶん久し振りに廣田先生と逹さんにお会いできたのだが、逹さんとはその時が最後になった。

廣田先生に何度も言われたことがある。音楽は職業とせず、趣味にしなさい、と。同じことを、大学の管弦楽団の指揮者二人からも、言われた。夢に見たことはあれど、とても自分の力の及ぶ世界とは思わなかったが。

一昨年お会いした時も、皆に向ってそのことに触れられ、ならなくてよかったでしょ?  と確認されていた。同窓には、守らなかった者も少なくないのだけれど。

先生が、どのようにして音楽学校を目指されたか、聞いたかも知れないが覚えていない。しかし、ご経験に基づいた信念だったのだろうと思っている。


 

廣田先生のお歳を正確に覚えていないが、一昨年九十歳は越えていらしたと思う。父よりも五年以上上の筈で大正のお生まれだと思う。音楽学校から戦争に取られて生還されたと伺った。

素晴らしい音楽の先生であると共に、偉大な教育者でいらっしゃった。

次の同窓会が開けてお会いできることを、祈っている。

 

2018/02/23

轍叉と轍査

1990 頃に既に「古典」と感じていた鉄道の信号技術の本があった。表題に確信がないが、二文字だった記憶があるので、「信号」だったか?  国鉄の内部の教科書だったかも知れない。

読み進めると、「てっさ」と「てっ査」という言葉が出てくる。意味から推測すると、轍叉と轍査だろうと推測できた。漢字なら一目瞭然だが、仮名書きと交ぜ書きでは暗号としか思えなかった。河豚じゃないんだから。

信号からは外れるが、鉄道分野には「き電」という言葉もあった。意味は feed power なのだが、これは字を思いつけなかった。古書に当たると、饋電だった。「饋」を辞書で引いたら、意味がよくわかった。こんな美しい字があるのに、それを使わずに交ぜ書きするとは。

(用例: き電線)

別の分野で、「爾後」と書けなかったのだろう「じ後」と書いた本も見たことがある。事後と「じ後」は違うと言いたいのだろうけれど、漢字を失ったら、意味がわからない。

この文字狩り、文革のような人的被害はないけれど、文化を破壊する力は侮れない。

2017/10/12

iPad で室内楽

iPad に楽譜を映して弾くという話をちらほら聞き始めた頃、「ボロメーオSQ」という名前が耳に入り、ブルーローズに聴きに行った。
iPad でなく MacBookPro を使っているらしいのは既に聞いていて、横長画面に見開き二頁の楽譜を映すのだろうかと想像していたが、見たら違った。映していたのは一頁だけ。
画面の縦の長さが理由だっただろうか。

その後に、この記事を読んだ:

 

印刷された楽譜の代わりに、みんなでMacBook Proを使って演奏するというのがおもしろい

 

その時はまだ、自分で室内楽を弾くのを再開していなかったし、iPad Pro も存在せず画面が小さ過ぎるのではないかと思って見送っていた。
ただし、紙の楽譜から離れた理由は強く印象に残っていた。

 

なぜ楽譜をデジタル化するかについては、まずはスコアを見ながら演奏したいというのが出発点だったとか。ヴァイオリンのニコラス・キッチンによれば、パート譜で演奏していたころは、練習時間の多くが他人が何を弾いているのかを確かめるために費やされていたけど、4人がスコアを見れば効率的である、と。さらに「作曲家がアンサンブルに同一性を求めなかった場合でも自信が持てる」ということで、ベートーヴェンがそれぞれの楽器に異なる弾き方を要求しているときに、すぐに発見できるのが利点。さらに練習では手稿譜もデータで参照しているそう。

 

その本番で、手稿譜を使っているのを見た。
繰り返しや da capo は、単純に演奏順に頁が並ぶように、つまり必要によっては同じ頁を二枚入れた pdf ファイルを作っていると聞いた。

 

二年ほど経って、iPad Air 2 は既に家にはあり piaScore の存在も知ってから、十数年振りに弦楽四重奏を弾くことになった。
iPad Pro はまだ世に出ていなかったように思う。見開き二頁見られる A3 の画面があったらよさそうだと思った記憶があるから。
ともかく、この時は紙の楽譜を使った。せめて A4 大の有効画面が欲しいと思ったのと、ペダル (AirTurn PED) を買うのに躊躇したのが理由。

 

だが、「スコアを見ながら」は気になっていたので、紙で実行してみることにした。
コピー機が扱える大きさで A3 を紙の一頁にし、そこに楽譜の四頁を収めると、見開きでスコアが八頁になる。そこに一楽章が収まったのだったか、長い休みを使って一回譜面をめくることにしたのだったか忘れたが、その巨大な楽譜を使って演奏会の本番まで弾けた。
ただし、この大きさの紙を譜面台に載せても縁が垂れてしまうので、A3 のボール紙を二枚つないだものを支えとして載せ、その上に楽譜を置いた。
二重奏やチェロアンサンブルで全パートを見ながら弾く経験が少しはあるが、弦楽四重奏では初めて。

 

まず、初見で弾くのがとても楽。誰が何を弾いているか (弾くべきか) を知って弾くので、落ちる (現在、譜面上のどこを弾いているかわからなくなる) ことがほぼなくなる。
曲の全体像が見えているので、自分が誰と一緒に弾くのか、あるいは誰から受け取って誰に渡してフレーズになっているのか、わかって弾くようになった。合せる前に予習しておくべきことだけれど、昔はできていなかった。

 

そうこうしている内に iPad Pro が出た。次の演奏会の予定が決まったところで、Apple Pencil と AirTurn PED と一緒に買った。
piaScore を入れてみたら、基本機能 (無料版) として pdf 楽譜が表示できるが、IMSLP にあるものは pdf ファイルを意識することなく、直接検索して使える。
有料版にすれば、一頁ごとの写真ファイルから一連の楽譜が作れるので、紙の楽譜をスキャンして使うこともできる。
なお、piaScore を試すのは iPhone でも可能。演奏は難しそうだが、楽譜を読むだけならこれで充分。

 

iPad Pro なら Apple Pencil が使えるので、書き込みは鉛筆で紙に書くのと大差なくできる。書き込みに層構造が使えるともっと有り難いのだが、今は一層しかない。色分けできる利点はあり、紙と同様に「消しゴム」で修正することもできる。
臨時記号や弓記号などの「スタンプ」が使えるが、これは練習中に書き込むのは難しい。とりあえず Pencil で書き込んでおいて、後で綺麗にするのには使える。
テキスト機能もあるが、これはペダルが bluetooth keyboard に見えているようで、ペダルを切るかペダル側のボタンを押さないと文字入力ができない。これも、一人の時に綺麗に書き直すのに使う程度。

 

予想外に苦労しているのは、ペダルの扱い。
単純に左右二つのスイッチがあるだけなのだが、靴底によって動作が違って感じられるし、意図せず二回踏んでしまうことがあって、慌てて戻すことが割とよく起きる。
頁を上下半々に分けてめくる機能があり、これは先読みできるので便利。ただし、踏み間違いで戻る時には混乱する。
iPad を横長に置くと、二頁表示になる。これも、二頁単位でめくることと、一頁ずつめくって先読み可能な表示にすることができる。
ペダルの bluetooth device としての pairing は、最初に一度やればよいはずだが、デバイスが iPad から見えているのに譜めくりができなくなる事故が、数回あった。これは、双方でペアリングを reset し、最初からやり直すと再び使えるようになった。

 

この後、iPad Air 2 も楽譜として使うようになった。軽いことの利点が大きい。
画面が小さいことは、案外問題にならない。譜面が明るいことが効いているようだ。管弦楽でスコアで弾くことはあまりなさそうだが、pit に入って使うのには圧倒的に紙より便利だと思う。
書き込みは、指ではかなり雑にしかできないが、「iPad 用」を謳った stylus (?) を使えば、そう困らない程度には書ける。

2017/03/27

Facebook 乗っ取り

Facebook アカウントを乗っ取られた友人が顚末と対策等について整理してくれた。
許可を得て転載。

私は、LINE の年齢認証で苦労したことがあり、途中まで「それしか手段がなかったのだろう」と疑わずに電話番号を犯人に教えてしまう失敗を。
その次に「LINE の ID を教えてくれ」という意味不明の要求が来たところで、初めて相手が乗っ取られていることに気がつくという失態。
メールだけは二段階認証にしてあったが、これを機に Facebook も二段階にした。

一報:
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■乗っ取りの経緯
※届いていたメールやログなどから類推

・17:43パスワードリセットのリクエスト
※この経緯から、パスワードがばれたのではないことがわかる
 ⇒再設定コードが自分宛にメールされるが、犯人は見れないはず
・17:44パワードがリセットされる
 ⇒なぜ、すぐさまリセットできたのかは不明
・17:45犯人のメールアドレスがアカウントに追加される
・17:46メインのメールアドレスが、私のものから犯人のものに変更される
 ⇒以降、アラートメールは私に届かなくなる
 ⇒その後、私のメールアドレスはアカウントから削除された模様
・直後から、Facebookに登録していた友人の方々へ「今忙しい?」というメッセージを送付開始(全員ではない様子)

■メッセージのやり取りについて
・すぐに反応して頂いた方には、以下のメッセージを送付
 「私のLINEが凍結されているから、そちらの携帯電話で検証コードメッセージを受け取ってくれる?」
・続けて、電話番号を聞き出し、
 「検証コードは送信したよ、メッセージの四桁検証コードを見て。」
 「四桁の検証コードをfacebook送信してくれ。」
 と続く。
・「今忙しい?」にすぐに反応されなかった方や、暫くして反応された方には、その後は無応答。
・途中でおかしいと気が付かれて「本人ですか」など聞き返すと、そのうちに無応答になる。

■LINE乗っ取りについて
・上記のやり取りから、犯人はLINEの乗っ取りをしたかったのだと思われます。このような手口のアタックが最近広がっているようです。ググるといくつも事例が出てきます。
・今回、メッセージのやり取りで電話番号や検証コードを送ってしまわれた方が複数いました。本当に申し訳ないです。
 個別に対策等についてご相談させていただきます。
・なお、犯人の馴れ馴れしい口調のせいもあると思いますが、親しい人ほど騙されてしまったという結果になりました。ソーシャルアタックの怖いところだと思います。

■リカバリの経緯
・翌朝に「FBが乗っ取られてませんか」というメールを何人かの方から頂き、ことの次第を自覚。
・ログオンを試みるも、アカウント特定のためにメールアドレスで検索しても、メールアドレスが変更されているために見つからない。
・氏名を入力するとアカウント特定をアイコン画像で行えることがわかり、私は自分の顔写真にしていたので、それで特定。
・パスワードは当然変えられているのでログオンできず。
・「アカウントの安全を確保」というリンクをクリック。
 ⇒アカウントがロックアウトされる
・本人特定のためのプロセスで、自分しか知らない情報を聞いてきた(昔、設定しておいた)ので、それを答えると認証された。
・が、24時間はアカウントをロックアウトするので、24時間後に
 アクセスしろとのメッセージ。
・翌朝、確認したところ無事にログオンできた。
・プロファイルに知らないメールが登録されていたため、削除して自分のメールアドレスを登録。
・FBに乗っ取りリカバリのお知らせと謝罪メッセージを投稿。

■セキュリティ強化
・メールアドレスを自分しか見れないように設定。
・「設定」>「セキュリティ」で下記設定
 「認識できないログインに関するアラートを送信」
 「二段階認証を使用」
・その他、公開していた情報のいくつかを自分だけ又は友人だけに限定

■教訓
・パスワードだけでは守れない
・何重にも対策をしておくべき(実はそれほどの手間ではない)
・アラートは携帯宛にしてすぐに異変に気付けるように(これまでは自宅PCにしていた)
・親しい人からのリクエストも少しでも疑問があれば安易に対応せずに確認するべき

実は、どうやってパスワードリセットができたのか不明なので、これらの対策がどこまで有効かはわからないのですが、少なくとも強化はされたかなと思っています。
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パスワードリセットの手法についての追記:
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前回投稿したとおり、犯人が即座にFBのパスワードリセットを成功できたのか疑問でしたが、判明したと思われるので共有しておきます。以下のような経緯だったのではないかと思います。

・犯人は私のプロバイダメールのメールアドレスを何らかの手段で入手(FBのプロフィールで公開していたかもしれない)
・私のプロバイダメールのPOPパスワードを推定してログオン(このパスワードはFBの情報と合わせると類推されても仕方ないようなものだった。)
・FBでこのプロバイダメールアドレスをキーに検索して私を特定し、パスワードリセットを要求
・リカバリコードが私のプロバイダメール宛に飛ぶ
・犯人はこれを読んで、即座にFBにリセット要求し、リセット成功⇒FBログオン。
・すぐに、FBの登録メールアドレスを変更

これが今のところ一番あり得る経緯だと思います。
なお、プロバイダメールのPOPパスワードだけではPOPパスワード自体の変更はできない(別途管理画面へのログオンが必要)ため、変更されずに普通に使えている状態でした。そのため、これがクラックされているとは思わなかったという次第です。

今はプロバイダメールのPOPパスワードは変更し、この機会に、他のサイトのいろいろなパスワードも見直し中です。

単独では大丈夫と思っても、複数の情報を合わせるととたんに弱くなる典型ですね。結局は私自身の不注意でした。申し訳ありません。

2016/12/20

Brewed coffee

filter で coffee を淹れる。
決めた量の豆を挽き決めた量の湯を注いで抽出したものを飲む人が多いのだと思う。
しかし、抽出過程の中で当然濃度は変化する。
初期の濃い部分をまず飲んで、それから後の薄い部分を飲みたいと思い、少量ずつに分けて飲んでいる。
後の方の赤い液体を飲むかどうかは別として、それ以前の中で濃い部分と薄い部分を分けて飲む方が、混ぜてしまって均一な濃度のを飲むのよりも私は好きである。

2016/09/11

楽譜と鍵盤

弦楽器を弾く仲間に、楽譜を読むのが苦手という人が少なからずいる。

その人達と話している中で、「今使われている楽譜は鍵盤楽器用にできているから」という言葉が出てきて驚いた。

弦楽器は、音の高さと弦を押さえる位置が対応している (正確には、振動する部分の長さと周波数が反比例) が、楽譜上の音符の高さの差は半音も全音も同じでピアノの白鍵に対応している、という主張 (A) だった。

私はピアノが最初の楽器だが、そういうことを考えたことはなかった。

私が自分で考えている楽譜の読み方 (B) は、

  1. 音符の高さを読む
  2. 音の高さを認識する
  3. その音の鍵盤を弾く

である。A の主張は 1. から 3. に直結しているというものだと思うが、B では 2. が重要で、音を経ずに鍵盤に到達するのはかなり難しい。不可能とは言わないけれど。

A の主張をする人は、頭に浮かんでいる音の高さに押える位置を対応させて弦楽器を弾いているのだろうと想像しているように感じた。

楽譜が五線になる前、主な使い道は歌ではなかったろうか。音符が音に対応するのが、最初の使われ方であったように思う。

そう言えば、ピアノは白鍵より黒鍵の方が使用頻度が高い気がする。弾きやすいから。最初こそ白鍵から習うが、自分が弾きやすいのは Des, Ges, H dur あたり、つまり黒鍵五つと白鍵二つを使う調。♭   を見た時、白鍵の隣の黒鍵と認識することはなく、まず音が移動してから対応する鍵が浮かんでいるようだ。

2016/09/09

スツ線とアパ線

東武鉄道は、玉ノ井の駅名を消し去ったと思ったら、業平橋も消し去ってしまった。

伊勢崎線と野田線は消し去ったわけではないらしいが、スカイツリー線とアーバンパーク線にされてしまったと聞く。

特にアーバンパーク線の名には非難轟々のようだが、その意味以前に日本語では長過ぎて使い切れないのではないかと思う。

元の名より長い線名を付けて、定着することがあるんだろうか。使われるとすれば、省略されてだろうと思う。片仮名の名なら、頭文字を取って「スツ線」と「アパ線」にするのが自然に思えるけれど、使っている人はどう呼んでいるのだろう?

まあ、国電と同じか短い「E 電」も、定着しなかったけれど。

2016/09/08

台風は低気圧になれない

台風と熱帯低気圧と温帯低気圧

台風と熱帯低気圧と温帯低気圧は何が違うのですか?
台風と熱帯低気圧(天気図上では T TD と表現)は同じ仲間で規模が違うだけですが、温帯低気圧はこれらとは構造が違います。
温帯低気圧が発達して風速が 17.2m/s を超えても台風とは呼びません。

台風の定義を変える必要はないと思うが、同程度の風速の温帯低気圧にも注意喚起のための呼名が要るのではないだろうか。
台風が風速によって定義される熱帯低気圧の部分集合というのはよいとして、もし雨量がある程度予測できるのならば、それも含んだ広い範囲の用語が欲しい。

爆弾低気圧の定義を見たら、

気圧配置 気圧・高気圧・低気圧に関する用語
中心気圧が24時間で24hPa×sin(φ)/sin(60°)以上低下する温帯低気圧(φは緯度)。例えば北緯40°なら17.8hPa/24hが基準となる」

細かい分類の必要性はあるだろうが、広く周知するのには、「風速が一定値以上または予想雨量が一定値以上の低気圧」のような上位概念の方が使いやすくない?
気象庁が、△×を付けて周知に使う用語を制限しているのはよい。

「台風が低気圧に変わる」

それはそれとして、「台風が発生した」や「台風が低気圧に変わる」という報道があって、頭を抱える。
観測が連続でなければ台風が突然発生することはあり得るかも知れないが、ほとんどは「熱帯低気圧が発達して台風になった」だろう。

台風13号発生 8日(木)に東日本へ接近か
沖縄の宮古島の北北西およそ90キロで台風13号が発生した。

そして、低気圧である台風は「低気圧になる」ことはできない。「台風が温帯低気圧になった」の意味を理解せずに、一番重要な言葉を略してしまったように感ずる。

大雨の北海道北部 あす夜以降再び激しい雨のおそれ
台風から変わる低気圧の影響で、8日の夜以降、再び激しい雨が降るおそれがあり

【台風12号】山口県沖を北上 中心気圧1002hPa 夜には熱帯低気圧に変わる見込み

台風が弱まって台風の要件を失うのはわかるが、元々熱帯低気圧であるものが「熱帯低気圧に変わる」ことはできない。

上陸

台風の「上陸」に意味はあるんだろうか? 
台風を点として把握するのが精一杯だった時代には、「上陸」の地点と時期を予測することに意味があっただろう。
しかし、台風の風速、雨域、雲の拡がりが一般人にも容易に見られる時代に、「上陸」を宣言する意味があるのだろうか?

<台風10号>東北に初の直接上陸の恐れ
台風が太平洋側から東北に直接上陸すれば、1951年の統計開始以来、初めてとなる。

単に中心の位置が海上から陸上に移動しただけで、大勢に変化はないと思うのだが。

尤も、1950 年代と同じ基準で「初めて」と言うためには、2016 年の 10 号では意味があったかも知れない。
しかし、それは「統計」に記録しておけばよいこと。防災のためには、「何時頃どの地域の風雨が強い」ことを言う必要があって、報道が「上陸」を繰り返し言う意味がわからない。

2016/05/02

食卓調味

ふと、食卓常備の調味料をあまり見ないと思った。

醤油はよく見るけれど、それ以外は料理依存で「ソース」や塩や香辛料が出てくるくらい。酢を見るのは、春巻と餃子と皿うどんくらい、という育ち方をした。 そして、大人になってから、こういう光景を知った。

(http://phuketphuket.seesaa.net/article/254920218.html より)

(http://www.powerdio.com/archives/catalog/vinegar/ より)

もちろん、味を完成させて食卓に乗せるという前提があるわけだが、それでは作る人しか塩梅を考えない。

そこで、未完成のものを食卓に乗せ、調味料を揃えるようにしてみた。塩梅を自分で考えることを期待して。効果があるかどうかは、わからない。

2016/04/04

読み方を教えない虐待

久しぶりに弦楽四重奏を始めた。

Quartet

初練習でのこと、四人のうち三人は大学の同期生でおよそ様子がわかっているが、ビオラだけ同期の都合が付かず、後輩に頼んで初顔合せ。ビオラはとても上手で、曲のこともよくわかっていた。スコアが頭に入っている感じで、安心感がある。

練習後に四人で話した。学生の時に一度だけ管弦楽の演奏旅行に一緒に行ったことがあるが、その時はバイオリンであった。ビオラはここ三年ほどとのこと。バイオリンは単独で聴いたことがないが、上手いに違いない。ただし、楽譜を読むのに苦労しているということだった。

珍しいことではないのだが、バイオリンの人の中に、とても上手だが楽譜が native language になっていないように思える人がいる。なので驚くことではないのだが、その点で今でも苦労しているという話だった。

驚いたのは、ビオラの方。ビオラはバイオリンとは違う音部記号、アルト記号を使うので、ト音記号から来た人もヘ音記号から来た人も、読み方を新たに覚える必要がある。ならば、バイオリンで苦労した人は新しいアルト記号ではそこを克服できるだろうと期待した。ところが、ビオラの新しい音部記号でも、やはり苦労しているのだそうだ。最初に楽譜を読むことを身に付けなかったのが、second language でも尾を引いているようだ。

これは音楽に限らないことのような気がした。話し言葉を耳から覚えるのは母語では当たり前のことだけれど、読み書きは大人の介入が必要。小学校で習えるから問題になることは学習障碍以外ではあまりなさそうだけれど、もし教えなかったらそれは大変な虐待である。

これは、第二言語以降でも同じことだと思う。その言語環境に抛り込まれれば話し言葉は身につくけれど、読み書きには努力が必要。日本の英語教育は、長い間その逆をやってきて話し言葉を身につける機会を与えないことが多かったわけだけれど、読み書きを先に叩き込んであるので、その言語の環境に抛り込まれたあとは有利であると感じている。

今、始まろうとしている英語の早期教育がどのような方針なのか把握できていないのだが、この「虐待」に当たらないことを強く願う。

2016/03/08

指導者を得ること

専門家の指導を仰げばよいのに、と思うことが重なった。

 

音楽

楽器

楽器を始める時に専門家の指導を仰ぐのは、比較的多くの人が当然のことと受け入れているように思う。それは子供の時に始める場合に限られるのかも知れない。

就職してから出逢った中には独学でチェロを始めたという人もいて、驚いた。楽譜が読めて教本があれば、それで始められると思うのかも知れない。

しかし、ほんの些細なことに思えて他人に指摘されるまで気がつかないことがどうしてもあるし、今の自分の技術水準で特に足りないのがどこかを指摘してもらうことも、とても有効だと思う。今からでも習えばずっとよくなるのに、と思うことが多い。

 

合奏

自分が中学で弦楽器を始めて以来、管弦楽で弾いてみたいと思っていたが、その機会は大学までなかった。

中高の間は部の活動で、楽器は小さな合奏、最大でBrandenburg協奏曲の四番程度のものを弾き、主には四部合唱をやっていた。合唱は音大から非常勤でいらしていた先生に指導して頂いたが、楽器は足りないパートを卒業した先輩に頼んでいたので意見をもらうことはあったものの合奏全体を見通して指導してもらったことはほとんどなかった。合唱で受けた指導は、その後の器楽にも役立っているが、合奏経験は「この曲を弾いたことがある」に留まっている。

 

管弦楽

大学では管弦楽団に所属したので、全体合奏も弦楽器だけの「分奏」も、専門家に指導して頂いた。各自、楽器を専門家に習うことが参加の条件になっていて、唯一自力でやっていたのは同じ楽器の「パート」の中の練習だった。それも、時々は専門家に見て頂く機会があった。

同じことを何度も言われて腑甲斐ないと思ったところも多々あるけれど、当時受けた基礎的な訓練は有効だった。専門家に指揮してもらって得られるものと別の次元で、糧になっている。

 

室内楽

一方、管弦楽団の中で有志で室内楽 (最低二人、主に三から五人、多いもので八人程度の合奏) をやる機会がよくあった。合宿の宴会前とか学園祭とか。それを専門家に見てもらう習慣がなかった。学生ゆえ小人数でお願いするのは負担が大きかっただろうとも思うが、先輩に見てもらうだけでもずいぶん違ったのではないかと今にして思う。もったいない時間の使い方だった。

就職してからは職場の管弦楽団に所属し、そこでも室内楽をやった。メンバーに経営者だった方 (要職を退任されてから楽器を再開されたのだと思う がいて、「四重奏やるならレッスン受けよう」という言葉が自然に出てきた。

率直に言って、それまで考えたことのない提案で面喰った。しかし、レッスンは濃密な時間で、とても得るところが多かった。我々の側は、決して譜面通り弾けていないし、言われたことがすぐできるようになる訳でもない。でも、言われたことは納得できたし、その後の指針になった。

後から考えて、足りないところに外の力を導入しようと考えられるのが経営者の視点なのだな、と思った。大学で同期だった友人と室内楽を続けていたら、そのままずるずるとやっていたのではないかと思う。

 

写真

写真を撮るのは好きだったが、デジタルの時代になって「シャッター速度を選べるコンパクトカメラはないか?」と思った程度で、「独学」すらせずに撮っていた。その頃の写真を見ると、日の丸構図の山。

SNSの時代になって写真家と交流ができ、話を漏れ聞いている内に、「三分割法」という言葉すら知らないことに問題を感じた。まず本を読んで基礎知識を仕入れた。

SNSに撮った写真を載せてコメントを頂ける機会があり、視野が広くなった。

カメラを買うにもアドバイスをもらったが、買ってからは、そのメーカーの講座に参加できるようになり、様々な撮ったことのない分野を経験することができた。

そして、去年は写真家ご本人の写真教室に参加することができた。その場でもらったアドバイスは数点だけれど、アドバイス前後で違う写真を撮っているのが目に見える。

きっかけになったこと

この記事を見たのが、この記事を書くきっかけになった。

体験に基づく否定を信ぜよ         http://lord.takerunba.com/entry/2016/02/25/004528

> 特別なことに経験がある人の否定的な意見は信ずるに足る。

否定的なことに限らない。先駆者があるなら、まずそこから得られるだけのことを学んで、その先を目指したらよいと思う。

 

これもその一例 http://diamond.jp/articles/-/86961

 

先が短いと感じる年齢になり、時間を有効に使いたいと強く思うようになった。物より知識に投資したい。

車輪を発明するのは楽しいかも知れないが、それをする時間の余裕は自分にはもうない。誰かが作ってくれた車輪があるなら、それを使って何ができるかを考えたいのである。

 

2016/02/28

CP+ で中井精也さんのお話を

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SONYα6000を持っている。利用者登録をして、撮影会やレンズ試用会に何度も参加し、自力では始めるのが難しい分野の写真も撮る機会をもらった。

その一環に「α アンバサダープログラム」というのがあって、「CP+2016」に招待してもらった。

四分野のセミナーに希望を描いて応募できたので、鉄道と航空を書いておいたら、「鉄道」が当たったのだ。

その時点ではどなたの話が聞けるのかわからなかったのだが、先週になって「1日1鉄」にこの記事が:  http://www.ichitetsu.com/2016/02/cp2016-243e.html

2/27 17:15-18:00 は、中井さんのカシオペアの話と知った。

おそらく、こちらを見ればわかったのだろうけれどhttp://www.sony.jp/camera/cp2016/

そちらは招待して頂いたわけだが、こちらも興味があった。

ソニーブースでは「カシオペアジオラマ」が設置されます!

ぜひみなさんも撮影してみてください。

2/27(土)、28(日)は1030分~1100分にて中井精也によるスペシャル実践講義も開催いたします。

予約不要です。直接ソニーブースへお越し下さい。

CP+ 自体が初めてなので、10時に駅に着いていればよいだろうとのんびりしていたら、会場に入るのに大行列で焦る。二階の行列が済んで一階に降りたところで 10:15!

もう、間に合わないかと思ったが、SONY が入口のすぐ横にあったおかげで辛うじて間に合った。

そこで中井さんの話を聞きながら撮ったのが、このHO。

セミナーは、中井さんが夜汽車としてのカシオペアを撮られる過程の紹介で、想像以上の大変さに舌を巻いた。

一日に「多くて」一回しか通らない列車を相手に、試行錯誤しなければならない要素がたくさん。

http://www.ichitetsu.com/2016/01/124-eb91.html

などでその一部は拝見していたが、撮影期間中、運航日はほとんど全部どこかで撮っていらしたのではないかと思う。

http://www.ichitetsu.com/2016/01/130-f1c1.html

の雪が舞う写真も、どう撮ったのかを教えて頂いた。

せっかく講演時間割がわかったので他社のセミナーも聞いた。そちらでは、外国で撮影する時に苦労するところを話していらした。

それも大変ではあると思ったが、「カシオペア」と対象を限定した撮影の大変さは想像するに余りある。

2016/02/21

スコアを見て室内楽を弾くこと

スコアを見て弾ける

紙の譜面しかなかった時代には、管弦楽も室内楽もパート譜を見て弾くのが当然だと思っていた。ピアノだけはスコアを見られるけれど、自分で譜面をめくる楽器は、自分のパートだけにしないとめくる余裕がない。

しかし、2013 年、Borromeo Quartet を聴いて目から鱗が落ちた。譜面を電子化する利点は、譜めくりの便だけではなかった。

http://northwestwind.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/pdf-c58d.html

10 番は印刷もののスコアだった様子。見開き 2 ページを一画面にしていて、めくりには気が付かなかった。 11 番は、手稿らしい横長のページのスコアで、三段の譜面。1 ページしか表示していないので、一楽章などはすぐにめくりになる。しかも、ページごとに傾いていたり折れているところがあったり、めくったことが一目瞭然。譜面に興味がなければ、目障りに感ずる人もいるだろうと思う。 12 番は印刷譜のようだったが、なぜか一面に 1 ページしか表示していなかった。文字の書き込みは目立たなかったが、蛍光ペンのような色で塗ったところもあった。電子ファイルだから、何を書き込んでもオリジナルは残しておけるわけで、書きたい放題だということを、どこかで読んだのだった。

http://www.classicajapan.com/wn/2013/03/190042.html

なぜ楽譜をデジタル化するかについては、まずはスコアを見ながら演奏したいというのが出発点だったとか。ヴァイオリンのニコラス・キッチンによれば、パート譜で演奏していたころは、練習時間の多くが他人が何を弾いているのかを確かめるために費やされていたけど、4人がスコアを見れば効率的である、と。さらに「作曲家がアンサンブルに同一性を求めなかった場合でも自信が持てる」ということで、ベートーヴェンがそれぞれの楽器に異なる弾き方を要求しているときに、すぐに発見できるのが利点。さらに練習では手稿譜もデータで参照しているそう。

 

MacBook Pro を電車で持ち歩くのは無理があるし書き込む手段も必要だからすぐには真似できないが、「スコアを見て弾く」というのは頭に引っ掛かって離れない。近々、十年ぶりくらいに室内楽を弾けそうなのだが、紙の譜面でなんとかならないか、思案している。

iPad を使っている人はいるそうだし、iPad Proの大きさなら、二枚使えば充分使えそうではある。指揮者用譜面台なら問題なく載りそうだが、それも持ち運べるようになった時に実用になるか。

今回は時間的にも間に合わないので、紙で行くしかなさそうなのだが、老眼になって、譜面を拡大コピーしている人は多いと聞く。譜面台はおよそ A3 見開きを想定して作ってあるが、裏打ちがあれば A2 見開きならいけるのではないか? それなら、一頁にスコアの四頁を印刷すれば、見開き八頁分は行ける。手元のスコアで試してみたら、そのくらいあればなんとかめくる場所はありそうだ。何も頁の最後でめくる必要はないので、めくれる休符のある「元の頁」を、見開きのめくる前とめくった後と、二箇所に刷っておけばよい。

まだ試していない。とにかく自分のパート用のスコアを作ってみよう。

 

製本

ところで、製本には学生の時からスティック糊を使っていて、粘着テープによる方法は後から聞いたがやったことがない。探したら、

があった。どちらも

2ページずつになった見開きの楽譜同士を、本のようにしていく作業に入ります。 組み合わせた楽譜を取り出し、その片側にのりをつけていきます。

ところには進歩はないようだ。

両面コピーを使ったら、もう少し省力できないか? 三枚以上の両面印刷紙を綴じるのに、あまり上手い方法を思いついていないのだけれど。

2016/02/13

交流電化と電源周波数

古い話になるが、2014/12に東海道新幹線の50Hz -> 60Hz 変換器の更新の記事があった。

JR東海、新幹線の周波数変換変電所2カ所の周波数変換装置を静止形に入替え http://news.mynavi.jp/news/2014/12/02/016/




上越・東北新幹線は 50Hz で走っている訳だし、北陸新幹線は長野で既に 60Hz だから、50/60Hz 両用の車輛も存在する。しかし、全体を 60Hz で設計した東海道以西の新幹線を今更 50Hz に変える選択はないだろうというのが、私の感覚である。現在地上で周波数変換できているものを、敢えて車上で変換するように変えるのは、車輛を重くすることになるからだ。
もちろん、その理屈を一般の人が知っているとは思わないのだけれど、工学部の中でも電気工学を学んだ人の常識でしかないということを知ることになった。




現代は、モーターを回すのに自由な周波数の交流を半導体で作り出す時代だから、電源は何でも大差ないだろうという意見を聞いたのである。なるほど、言われてみると、そう考えるのも無理はない。直観的にそんなはずはないと思ったが、説明するには車輛の実装を思い起こす必要があった。

電源電圧が 25kV もある (架線から集電する電流を小さく済ますためには、電源電圧を高くする必要がある) のだから、それをいきなり半導体にかける訳には行かない。調べてみたら 3.3kV の素子があったが、それでも電源電圧を一桁降圧しなければ、周波数変換どころではない。


富士電機のパワー半導体製品
HPM (High Power Modules)
AlSiC Baseplate (High reliability type)
 http://www.fujielectric.co.jp/products/semiconductor/usage/railway.html




降圧自体は変圧器を使えばできる枯れた技術だが、そこに電源周波数が絡んでくる。その点が、電気工学の知識なのだった。変圧器は鉄でできた芯に銅線を巻いたものだが、鉄芯の利用効率が周波数が高いほどよいのである。50Hz の変圧器は、60Hz の 1.2 倍の重さになる。重さがさらに重要な旅客機では、地上の電力供給とはほとんど関係ないので、400Hz を採用して軽量化を図っている。

そういう理由で、60Hz 用の変圧器しか積んでいない東海道系列の新幹線が、敢えて重い 50Hz の変圧器を積むとは考え難いのである。東海道新幹線の 50Hz 地域に入る区間に、現在は地上で変換した 60Hz 電源を供給している訳だが、その地上変換をやめるためには、この区間に入る全車輛の変圧器を重いものに積み替えなければならないのだから。




その時にはそこまでしか考えなかったのだが、その後にドイツはどうなのだろうと考えた。ドイツの電気鉄道は、初期に実用化されたために低い周波数を使う必要があって 16.7Hz を使っているのである。(フランスは 50Hz) それは、50Hz の三倍の重さの変圧器を必要とすることになるはず。

俄かには信じられなくて探してみたが、魔法は発見できなかった。wikipedia に曰く



The 15 kV, 16.7 Hz AC railway electrification system. http://en.wikipedia.org/wiki/15_kV_AC_railway_electrification

>  Due to high conversion costs, it is unlikely that existing 15 kV, 16.7 Hz systems will be converted to 25 kV, 50 Hz despite the fact that this would reduce the weight of the on-board step-down transformers to one third that of the present devices.




それが現実だろう。その制約の下で高速鉄道を開発するのは大変だったろうと思う。





話は地上に降りる (空からではなく、車上から)。現代は半導体の時代で、50Hz 用の変圧器は 60Hz でも使える。なら、東日本を 60Hz にするのも難しくなくなっているのでは?
と上の話をしながら思った。その疑問を、電力会社の友人にしたら、「結局、発電機なんでしょうねえ」。そりゃそうだ。無益な妄想であった。

2016/02/10

太陽暦に「月」は要るのか?

一年は52週間と1または2日

現代に約30日の長さの月を使い続ける利点がわからない。
週を単位に生活し、年毎の変動をなくしたら楽になるのではないか。

 

経緯

  旧正月。太陰暦と太陰太陽暦は月の暦だから、月を期間として日常使うのは当然。   だが、太陽暦にまで「月」は要るんだろうか? 月を使っているがために苦労を背負い込む場面が多くて、気になる。曰く

 

       
  1. 職場にて:       
    • 二月は短いから急いで
    • 今月は給料日が日曜だから
    • 期末が金曜だから
    • あーあ、新年度が始まったと思ったら次の日は休みだ       
       
  2. 学校にて:       
    • 今学期は終業式が月曜でもったいない
    • 金曜が始業式なんて
    • 今年は2/1が日曜だから、A校とB校を併願できる       
     

  太陰太陽暦なら月の長さは29か30日に決まっているが、ローマ暦は28-31日と振幅を拡げられたまま現代まで来ていて、それに振り回されている。

 

現代の生活

  現代の生活は、週を基本としていて、月に依存して動いている部分をあまり思いつかない。
  日本では給料や家賃が月払いで月賦が一般的だけれど、それは適当な数の週を単位とすれば充分ではないか?
  口座引落が広く使われているので、月給が週給になり月家賃が週家賃になっても、金融機関以外には困るところはあまりなさそうに思える。

  経済が (四半期) 三箇月を単位として動いているところはある。それは扱いやすい長さなんだろう。そこは、13週を使えばちょうどよさそうに思える。  

  
    1 quarter * 13 week = 52 week = 364 day
  

    年によって1, 2日の余りがあってもいいだろう。

 

どう使うか

  では、どのように暦を使うか。

毎年同じ曜日から始まり、年末に平年は1日、閏年は2日の特別な休みがあるようにすればよいのではないだろうか。
  どの曜日から始めるかが争いの元になりそうではあるが、どの宗教でも安息日でない日に始めるのでは?

いや、宗教上は曜日が必要で、それを変えることには抵抗もあるだろう。
  7日周期の週は現代人の生活に根差しているから、宗教週とは独立に番号で生活週の曜日をきめれば、異なる宗教の間で公平に思える。

週を基本にするなら、年は第1週1曜日から始まり、first quarterが第13週7曜日まで、second quarterが第14週1曜日から始まり...年末は第52週7曜日の後に、1か2日の特別休日がある。

 

学事暦

  そう決めれば、学校の暦は楽になりそうだ。例えば、毎学期1曜に始まって5曜に終る。
  祝日問題は別にあるが、それとて学校では月ではなく週に依存する部分が問題なのだから、毎年同じ1曜が祝日と決まっていた方が、扱いやすいのではないか?

 

困るところ

  月日で決まっている祝日の行先には困るだろう。  
  だが、年の初めは太陽暦を採用しているRoman Catholicに合せるのが現代世界の現実との齟齬が小さくなりそうだ。

日本では、例えば建国記念日は2/11だったのだから、年の42日目、つまり第6週7曜に読み替えれば問題なさそうだ。

 

結局

  ....と、現代でも月 (month) を使っているのは、昔の暦へのNostalgia以上のものでないと思えて仕方ないのだが、どうだろうか。

追記

(2016/02/11)

こういう記事があった:

月をやめよう

生活週を導入して宗教週と分けようという発想は、この記事にはなかった。

 週はどうでしょうか2001年1月1日は月曜日でした。2002年1月1日は火曜日です。毎年の新年が第一日が同じ曜日になるように考えた人もいますが、52週=364日となり、その場合は「曜日のない日」か「うるう曜」を1年に1日ないしは2日作らなければならないので、現実的ではありません。これは慣習として使い続けなければならないでしょう。  改暦によって同じ日が別の日付になったことはありますが、七曜は一度もその順が変わったことはありません。

2016/01/24

スキーバス軽井沢事故とエアバス名古屋事故

碓氷の事故は、もしかしたら、「フィンガーシフト」が原因なのか?http://transprincess.blog.fc2.com/blog-entry-882.html

という記事を教えてもらって読んだ。

回転数が合わないので、ギアチェンジ自体がキャンセルされてしまいます。

さらに恐ろしいのは、ギアはキャンセル前の4速や5速ではなく、

ニュートラルの状態になってしまうという事です。

ということも知らなかったが、

実際見た目上は、ギアは低速にちゃんと設定されています

には驚愕した。

» 続きを読む

2016/01/19

充分な列車を供給できない時は運休にすべきではないか?

News Up 駅の入場制限 なぜ起きた http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160118/k10010376511000.html


この記事には

 

> もう1つの要因は、安全対策にありました。大雪の際には運行本数を間引きして運転するケースがあります。雪による思わぬトラブルの発生や、トラブルが駅と駅の間で起きて乗客が混雑する車内に閉じ込められる事態を避けるためです。

 

とあるが、昨日の京王線に限っては全く関係ない。そんなことをしなくても、

 

> 京王線では朝の通勤や通学のラッシュの時間帯に68編成の電車が運行予定でしたが、間引き運転に加えてトラブルで電車が出発できなかっため16編成しか運行できず、多くの乗客が乗り切れない事態に陥ったのです。

 

1/4 の編成しか本線に出られなかったのだから。

輸送の需給は通常の朝がほぼ均衡状態。それが四倍も崩れたら、状態が発散するのは火を見るより明らか。

ならば、運行側は運休と宣言する以外に道はないのではないだろうか。

 

一方、利用者側、個人よりもその属する学校、会社、官公庁などは、間引き運転の事実を知ったら最低限その比率の通勤通学者を減らす義務があると思う。京王線沿線の学校に休校にしたところがあると聞いた。動機は生徒の安全だと思うが、結果として社会責任を果たしたと思う。

 

> このうち明治大学では、午前中の授業の休講を午前8時50分前にインターネットのホームページで告知しました。しかし1時間目の授業は僅か10分余りあとの午前9時から始まるため、学生の中には、苦労して通学したあとに知らされたという人が相次ぎ、ツイッターの書き込みには「連絡遅すぎ」「詫び単位よこせ」などといった怒りの声が相次ぎました。明治大学広報課は「判断が遅れて迷惑をかけてしまい申し訳なかった。これから改善策を検討したい」と話しています。

> また、工学院大学は、午前7時に休講を決めたものの、多くの学生が閲覧するサイトへのアクセスが集中したために操作できなくなり、大学が情報を掲載できたのは授業の始まる30分前でした。工学院大学教務課は「技術的な問題を改善したので、今後こういったことがないようにしたい」としています。

 

> こうした怒りの声は、会社員とみられる人たちも。次のような書き込みが見られました。

> 雪のため『午前中は自宅待機』と連絡が入り、途中で引き返す

> 頑張って駅まで行ったら『午前中休み』の連絡。家に戻ったら再び社員は出勤命令。振り回さないで

技術的な問題は改善の努力をすればよいが、問題はこのような対処すらしなかった組織。

1/18 の朝六時に確認した時には、京王電鉄の運行情報ページ http://www.keio.co.jp/unkou/unkou_pc.html には

「京王線 (京王電鉄の井の頭線以外の全てを指す) は三割程度の運行」

という意味の表示があった。三割の輸送力しか供給されないのだから、これに乗ってよいのは緊急度の高い上位三割の人だけであるはず。

保安、医療など、現業職の全てが緊急度の高い組織もあるだろうが、一般的な組織は、(京王線を使う従業員の中で) 少なくとも七割に自宅待機を命じる義務があると思う。

2016/01/15

Universal Design 特に赤緑識別

Universal Designの教育を受けているにも関わらず、赤緑を識別できる人にしかわからないような資料を作る人が少なくない。
色の識別が難しい人は男性には多いはず。百人の男性の知り合いがいれば数人は出会っていると思うが、気付かずに過ごしているのだろう。
そういう人にどう見えているか、私も想像するしかないのだが、下のようなページの例を参考にしてよいのではないだろうか。

(1) 4枚並んだ野菜の写真の中で、PDからトマトやブロッコリーをみつけるのが、どれだけ大変か。

http://www.happycolors.net/simulation.html


(2) 下のページの「16. 電光掲示板」で、「のぞみ」と「ひかり」の区別があることを、感じられるか。

http://www.happycolors.net/simulation-list.html

(3) 下のページで、一般的なUNOに参加することの負担を感じ取れるか。

http://www.shiga-med.ac.jp/~hqophth/farbe/miekata.html

(4) 下は操作が面倒だが、各種の色弱で色鉛筆がどう見えるかが多少なりとも把握できるように思う。

http://www.color-blindness.com/coblis-color-blindness-simulator/

2016/01/11

列車の進路違い二例

高徳線の脱線

JR高徳線、側線に入り脱線 信号見落としが影響 香川 http://www.asahi.com/articles/ASHD04RNNHD0PLXB003.html

> 信号は赤だったが、運転士(54)が信号を見落として発車。衝突を防ぐ側線に自動的に入り脱線したという。

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この脱線を想定した側線を、安全側線と言う。

JR 西が昨年発表した、先進国並みに懲罰より安全確保を優先するルール

JR西、重大事故でも処分せず 人為ミスで新制度 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201512/0008647273.shtml

> 事故の発生を招いた人為ミス(ヒューマンエラー)をした乗務員らを懲戒処分とはしない新制度を、来年 (2016) 4月に導入する方針を固めた

が普及してここでも適用されることを祈るが、列車の誤出発は想定されているヒューマンエラーで、エラーはシステムの設計通りにバックアップでき列車の衝突を正しく防げた事例だった。

安全側線については、1963 年の三河島事故 https://ja.wikipedia.org/wiki/三河島事故 を大きな契機として誤出発自体を防ぐ方向に設計思想が進み、新幹線には安全側線がない。しかし、1973 の東海道新幹線大阪運転所脱線事故 https://ja.wikipedia.org/wiki/東海道新幹線大阪運転所脱線事故 があり、その後も信号保安装置の故障、設計ミスによる事故が続き対策が重ねられたが、その二十年後になっても安全側線の方が優れているという主張を見かけた。

停止信号の手前で列車が自動停止するシステム ATS-P http://www.wdic.org/w/RAIL/ATS-P を採用出来れば安全性は高まるだろうが、費用は大きい。

長崎線の誤進入

高徳線の誤出発の記事から、去年の似て非なる事故を思い出した。2015/5 の長崎線事故 (役所用語では重大インシデント)

保安システムの基本原理に問題がある (脚注) のが明らかになったが、運転士の操作には問題は感じられない。

指令員が現場の状況を正しく把握できていなかったのが直接の原因と考えられているようだ。

【特急あわや衝突】93メートル手前で緊急停止 JR「ミスではない」 http://qbiz.jp/article/62790/1/

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この事故の時は、異音のために下り列車が場内信号を越えて停車し、

> ブレーキをかける前の速度は時速約35キロで、19号の先頭車両と2両目の一部が20号と同じ線路に入った。

> 指令は、駅近くにある信号機の手前に19号が停車していると判断し、信号機を赤にした上で、運行再開時には手動でポイントを操作して、待避線ではなく、本線を通過させる予定だった。

「手動でポイントを操作して」は、稚拙な表現が新聞に誤って受け取られたと考える。実際には信号機と転轍機の間にinterlock をかける「連動装置」の操作スイッチ (専門用語は梃子) があり、人が操作するならそのスイッチである。その上位に連動装置を制御する運行管理システムがある場合もあるが、長崎線の報道は、中央の指令室にも遠隔操作スイッチがある CTC 装置だけが設置されていたように読めた。

(参考: 列車のポイントについて http://chiebukuro.travel.yahoo.co.jp/detail/12104924427.html)

2009111801

連動装置のスイッチは、線路上の「発点」から「着点」への「進路」を開通させるのが操作単位である。

さて、この事故現場では、指令は下のように事態が進むと考えていたと思う:

(1) 元々、この駅では列車交換の予定はなかったので、下り列車が通過するため、下りの駅手前から駅構内への場内進路を本線側に開通、駅本線から下り方向へ出発する進路も開通させてあった。転轍機は二つとも本線側に転換され、鎖錠されて動かない状態になる。その後、各信号の現示 (色で示す状態) が「進行 ()」になる。

(2) 異音を感じて停止した下り列車は、場内信号が見えない位置まで進んで停止した。

(3) しかし、下り列車はシステム上は場内信号の手前にいることになっていた (脚注)。

(4)  (手動) 指令者は、下り通過のために開通させていた二つの進路を元 (列車を通さない初期状態) に戻し、上り列車が待避線に到着できるよう、上りから待避線側に到着する進路が開通するようスイッチを操作した。

 この時点で進行を示していた信号機は停止になるが、安全のため転轍機はすぐには作動せず、上りの場内信号も停止のままである。

(5) (4) から一定時間経過し、進行だった下りの信号が急に停止に変ったのを見た列車があっても停止できるとシステムが判断した時点 (遅延させる時間が定数として設定してある) で、転轍機の鎖錠が解け、待避線側に転換し再度鎖錠される。

 上り列車がこの駅で停止するまでに通るのは諫早側 () の転轍機だけだが、駅に停まれずに過走する可能性を想定してあるので、肥前山口側 () の転轍機も待避線側に転換する。

(6) 両転轍機の転換と鎖錠が完了したら、上りの場内信号が注意 (橙) 現示になる。出発信号が停止なので、進行現示にはならない。

(7) 上り列車が場内信号を通過し、上り場内信号は停止に変化する。

(8) 上り列車が諫早側転轍機を通過し、転轍機は鎖錠が解けて転換できる状態になる。

(9) 上り列車が定位置に停車する。

以下 (6a), (7a) と (6)-(9) との前後関係は不明

————

(6a) 下り列車の運転再開のため、下りの場内、出発信号を手動で再度本線側を通過するよう操作した。

     (8) に達すると、転轍機が本線側に転換し、下り出発信号が進行現示になる。

     (10) に達するまでは、肥前山口側では変化は起きない。

(7a) 下り列車に肥前竜王で上りと交換することを伝え、下り列車が走れる状態になったら信号が進行に変化するという想定のもと、運転再開を指示する。

————

(10) (7) から一定時間が経過し、上り列車が肥前山口側転轍機まで過走することがないと判断し、その鎖錠を解除する。

(11) (6a) の操作の結果として、肥前山口側転轍機が本線側に転換鎖錠される。

(12) (6a) (8) が完了しているので、下り出発信号は進行であり、下り場内信号も進行になる。

(13) 下り場内信号が進行になったのを見たはずの下り列車が発車し、本線側を通過する。

しかし、下り列車には下り場内信号が見えないため、指令が (7a) の指示を出し (8) が成立した時点で進行現示になっていた下り出発信号を見て (12) を待つことなく出発してしまった。

下りの運転士は、(12) を想定し、上り列車が既に待避線に到着停止しているのも見えていたので、それを疑わなかった。肥前山口側転轍機が待避線側に鎖錠されたままなのを見て驚愕し、非常ブレーキをかけた。

というのが実際に起きたことだろう。

対症療法として、異常事態により予定外の位置で停止した列車の運転士が位置を指令に伝える時に現在見ている信号機がどれであるかを明らかにさせる、という方法がありそうだ。しかし、人の判断に依存する部分があり、根本対策とはならない。根本対策には精度の高い位置検出に基づく信号保安システムが必要になるだろう。

共通の対処

先進国ではとっくに実現していることだと聞くが、現場を罰しても事態は改善しない。隠蔽体質を育てるだけだ。

現場、運転士だけでなく長崎線では指令員も含むが、現場で起きたミスに対し懲罰を与えず現象をできる限り正確に把握するのが第一だと思う。

懲罰のあるところには、懲罰への対処が発生する。それには隠蔽が含まれ、起きた現象が把握し難くなる。現象を把握できずに根本対策を立てるのは、無理である。


脚注

鉄道の信号は、線路上の決まった区間に列車が進入することの可否を示す。列車が実際に進入したことは、左右のレールを車輪と車軸が短絡したことで検知するが、その検知点は信号の位置と一致せず、信号を越えておよそ 10m 前後進んだ位置にある。このずれは、蒸気機関車など車輛の先頭に運転士がいない列車が、自分自身でこれから進入する区間の信号を停止 () に変えて動けなくなってしまうのを防ぐために設けられているのだろうと、今回の事故から想像している。

 

2015/10/18

数学と音楽

子供が勉強をする時に、器楽の録音を聴いていたら、「音楽があるとできない」と言われた。
私とは違うが、それは不思議ではない。

 

ところが、今日は歌の録音を聴きながら勉強をしている。
器楽は駄目で歌が入るといいのか? と訊いてみたら、数学と音楽が両立しないのだという。
そういう仕組なら納得するが、自分は音楽を表層的にしか聴けないのか、と思った。

2015/09/18

矛盾 SPAM

Facebook のメッセージの「その他」に、こんなものが落ちていた:

Facebookでプロフィールを作成しましたので、ぜひ見てください。Facebookでは、写真や動画のアップロード、イベント作成などを通じて友達と交流を深めたり、ネットワークを広げたりできます。ぜひFacebookに登録して、自分のプロフィールを作ってみてください。

よろしくお願いいたします。
Junko

SPAM は SPAM で珍しくもないが、Facebook メッセージを送っておいてこれは....?

ぜひFacebookに登録して


2015/07/30

頭位眩暈と点眼薬

良性発作性頭位めまい症は若い時から時々起きる。数日で治って一年くらい何事もないのだが、今は見舞われている。

たいていは寝起きで起きるので、せいぜい布団に倒れこむくらいで済むのだが、一つ確実に起きる姿勢があった。

  目薬をさす時

天を向くと、ほぼ確実に眩暈が起きる。座っている時は点眼中だけ我慢して頭を起こせば戻るのだが、うっかり忘れて立って点眼しようとすると大変。その場に座り込むのがやっと。

2015/07/13

誰が?

主語を想定して読むと裏切られる。主客を混同していると言うより、主体と客体があるという認識が欠けている気がする。
その内、売ると買うが一体になって、売ることも買うことも「買う」と言うようになりそうな。

来店
初来店 を引いてみたら...
店が使う、店に着いた時に使う、それなら昔通り。だが、その店に行って帰って来た人、これから行く人が「来店」!?


課金
ゲームの中で有料サービスを売る話だと思って読んでいると、どうもおかしい。
買った側が「課金した」と言っているらしい。なぜ....

応募
「応募しよう」と聞いて何の募集があったのかと思っていると、どうやら募集しようとしているらしい。

2015/05/25

信号建植位置と軌道回路境界

 
軌道回路を利用した信号保安システムのかなり本質的な穴が明らかになったように思っている。
システムで防げない部分を人間がカバーできなかったところが問題だが、担当者、運転士も指令も責めてはならず、経緯を明らかにして関係者が仕組を完全に理解するのが第一歩だと思う。
私がこの記事から推測できるのは、
  1. 信号機と軌道回路の境界がずれていた (下り場内信号)
  2. 信号機を越えたところ (専門用語では「内方」) に列車 (かもめ 19) が停止した
  3. 列車は内方の軌道回路を踏んでいなかった
  4. 下り列車は場内信号の内方にはいないことになっているので、下り場内信号を停止にした上で、上りの場内信号を開通 (おそらく進行ではなく注意) させることができた
  5. この時、過走の可能性を考えて、下りから進入する側の転轍機も待避線側に転換鎖錠される (この鎖錠は、上り列車が場内信号の内方に入って一定時間後に解け、その時点で下り側転轍機を本線側に転換して下りの場内信号を開通させられる)
  6. 5. の状態の時に、停止現示である場内信号が見えない下り列車が発車してしまい、待避線に進入した
という経緯。
6. の判断を運転士が指令に仰ぎ誤った状況認識で許可したのが、直接の原因ではあるようだ。
しかし、この状況が生じるシステムに問題があって、人間はミスをするし、確実な情報伝達を期待するのは無茶だと思う。
1. のずれの理由は、おそらく、SL のように運転席が先頭にない列車の場合に、自分自身が信号内方の軌道回路を踏んで信号を停止にしてしまいその信号を越えられなくなるのを防ぐためだろうと想像している。
現代には SL を想定しなくてよいのではという意見もあり得るが、保存車輛が走る可能性は想定しておくべきだろうと思う。
安全側に考えると、下のように設計変更するのがよいのではないかと考えた。
(これを全国でやるには莫大な費用がかかるので、すぐにできないことは明らか、将来的にも無理かも知れないが、設計思想として)
  1. 自列車がその信号内方の軌道回路を踏んで停止現示になったのを見ることはあるという想定を置く (これは、特に運転室が後方にある SL では起きやすい)
  2. その前提の下で、列車の一部でも信号の内方に入ったら軌道回路を踏むように境界を設定する。あるいは、境界まで信号機を移設する (停止距離と視認距離によって信号の場所が決まっているので、信号機を動かすのも簡単ではない)
  3. 1. の現象が起きた場合の脱出手順を決める
つまり、自列車の前部が信号を越えているために信号が停止現示となり、それを見て動けなくなるという deadlock があり得る。
そこから抜け出す手順をルールとして決めておくことで、deadlock の発生は許容しようという思想。
手順は、
  1.  その軌道回路を含む区間に他の列車がいないことを確認する
  2.  さらにその区間に他方向から入る進路 (今回の例では上りの場内信号) が開通していないことを確認する
  3.  当該列車に停止現示を見ながら進行することを許す
このルールだけなら実施は難しくなさそうに思っている。(2. の改造が大変重いのが問題)
この場合でも、停止現示を見ながら発車するという特殊な操作が必要になるが、その状態を作っているのが自列車の前部であるという事情は直観的に理解できそうなので、今回の状況を作った現行設計よりはミスの起きる確率が低いのではないかと考えた。

2015/05/22

外回り内回り

山手線の二方向の列車を区別するのに、外回りと内回りという表現が使われていた。私は、通学に使うようになった四十年前から疑問を持たずに受け入れていたのだが、そう言っても通じない人がかなりいるということは、齢を重ねると共に感じるようになって行った。

それを、最近はあまり使わないというのを聞いた。わからない人が多いからというのは納得するのだが、「電車が左側通行なのを知らないと」という説明が付いていて、首を捻ってしまった。

たしかに、外回りが時計回りで内回りが反時計回りというのは、左側通行なのを知らないとわからない。その点で、内外回りを使うよりは、時計回りか反対かを使った方が直接的でましな表現だと思う。

 

しかし、外回りがどちらかわからない人に時計回りと言ったら通じるのか? そこが疑問だと思ったのだ。

もし通じるのであれば、積極的に時計回りと反時計回りを使うべきだと思う。

なお、

  新宿駅構内図

 など、今でも内回り外回りという表現は使われている。

 環状線を離れると、上下線という区別は、inbound / outbound という言葉で英語圏でも使われているように思う。

問題が起きるのは、近年増えている都心を通過する線。地下鉄は、終点が決まっている場合が多いから、それほど問題にならない。しかし、湘南新宿ラインや上野東京ラインの末端は多様である。

京浜東北線には南行と北行という区別があるが、大船方面と大宮方面で区別する方が多くの人に理解できるのではないだろうか。

しかし、高崎も宇都宮も、小田原も逗子も行く湘南新宿ラインの向きをどう区別したらよいのか、悩ましい。大局的には、南北だと思うけれど。

 

2015/05/21

記譜可能騒音

近所のマンション建設現場で、不快な騒音が始まった。サザエさんの屋外場面で使われている「音楽」。日曜は休業なので静かだが土曜は平日と同じく朝からやっていて、苦痛で叫びたくなる。
探すと、同じ苦痛を抱えている人がいる。
 
 
この例とは違って「延々とエンドレス」ではないが、エレベーターが動く時に鳴るようだ。朝一番は運び上げるものが多いのか数十分続けて鳴り、その後間歇的になる。そうなると、罪は工事会社よりもエレベーター製造会社にあるように思う。
 
似たような例で、自動車工場を見学した時に見た無人搬送車が、何かのメロディを始終鳴らしていたのを思い出した。動くもの警告するために音を出すのは、必要なことだろう。ハイブリッドや完全電動の自動車で話題になったように。
しかし、警告音が、意味を持つ「記譜可能」な音である必要はないだろう。音程の変動しない、ベルやブザーのようなものであって欲しい。音程が聞き取りにくいホワイトノイズであれば、助かる。
こういう騒音を無視できる人も多いのだろうと思う。しかし、私の家族は、皆叫びそうになっている。
(サザエさんの番組の中で一話に一回出てくるのは、苦痛でもないし、情景の描写として聞いている。苦痛なのは、文脈を無視した使用と繰り返しである)
 
このような、「音楽」とは言いがたいが譜面に書き取ることができる「記譜可能騒音」は、他にもある。
駅の「発車メロディ」:
 
 
これも苦痛である。旅行先で一度聞くだけなら、そんなものかとやり過ごせる。しかし、生活路線で毎日同じものを聞かされるのは、大変な苦痛である。
上り下りで違う「メロディ」を使う駅も多い。上下線のメロディを混ぜて聞かされるのは、さらなる苦痛である。
なぜ、こんな騒音をわざわざ作って宣伝までするのか。
発車ベルは、騒音ではあったかも知れない。しかし、叫びたくなるほど不快なものではなかった。
 
私は、「記譜可能」と言っても、聞いた音がすべて音名になるほどではない。しかし、
 
 
を信ずるなら、私には記譜できないような音でも音名が浮かぶ人もいるようだ。そういう人の苦痛は、私の苦痛をはるかに超えた絶大なものだろうと思う。
 
別の事例を探して、煙草に思い至った。
私は子供の時から、煙草を不快かつ危険 (火災の意味で) なものだと思っていた。しかし、その蔓延度からして、これから逃れることはできないものと諦めていた。
中学の時、数学の先生が嫌煙運動を立ち上げたことを知ったが、蟷螂の斧の虚しい活動だと見ていた。
しかし、その後の展開は私の予想とは大きく異なった。今のように、まともな店は禁煙になり、職場も息ができるようになるとは、1990 年代でも想像できなかった。
公道に煙を流して火を振り回す輩は消えないけれど、革命的な改善が達成できたと思う。
 
それを考えると、記譜可能騒音も諦めてはいけないのかも知れない。苦痛に感じている人が、地道に声を上げるべきなのではないか。
鉄道会社にもエレベーターメーカーにも苦情を言い続ければ、いずれは改善されることもあるかも知れない。
自分が生きている間には実現できなくとも、それをするのが若い世代に対する我々の義務なのではないかと感じている。

2015/04/22

解約の余得で解約

実家の光回線を NTT から NURO に変えたら、隠れていた無駄が明らかに。

自分で決めたプロバイダは解約したが、なぜか Toppa! から初めて請求書が来たと言う。

今まで、NTT の請求に合算されていたらしく、無駄に払っているのを知らなかった。

それにしても、月額で 2203 円というのは高過ぎないか?

NURO が突撃セールスしてくれたおかげで、ずいぶん通信料がスリムになった。

 

一方、ジャパネットたかたの罠にはまって、PC の抱き合わせで何かの Wi-Fi ルータを契約させられていたのは認識していた。

違約金を払い直ちに解約しなければならないと言っておいたのだが、理解されず実行されずにいたのも発覚。

請求書を見ると、「ご利用月数 2 3 ヶ月」の文字。あーあ。せめて三ヶ月前に言ってくれていれば...

「二回くらい前から安くなった」と言っていたので、そこで端末代の月賦を払い終えたのだろう。

買った当人は、その使用料を PC の月賦だと信じ込んでいて、「いつまで続くのだ?」と問われてやっと事態を把握した。

大慌てで、二社の解約手続きと支払いを済ます。

 

一つだけ謎なのが NTT

3/1 に解約したのだが、三月分の請求が未納となっていると言う督促状。

二月分は丸々使っているので請求があるのは不思議ないが、契約中は銀行引き落としになっていたのを、なぜ最終月だけ続けてくれない?

しかし、請求書が見当たらない。上のルータのように、来た請求書は律儀に払っているので、紛失という事態はあまり考えにくい。

再発行を頼んだが、本人でないので状況の詳細を教えてくれなかった。Toppa! の二月分も入っているのだろうな....

 

NTT のモデムと ONU を返送するためのゆうパックの「返送キット」が来ず、催促してやっと届き、昨日撤去した。

(これも不達以外の理由を思いつかない)

NTT NURO の二本のファイバが引き込まれた状態になっていたのだが、ONU からの抜き方がわからないと訴えたら、鋏で切れと言う。

せっかくだから壁から出るところで切って 5m ほど天井に沿って這っていたのを撤去する。

 

ニッパーもみつからず古い鋏でなんとか切ったが、かなり乱暴な仕事に。

2015/04/17

発車時刻調整を非難する人達

湘南新宿ラインが遅れているため、横浜で東海道線が発車時刻調整。





ここの時間調整は複雑だが、山手線のような単純なモデルでも発車時刻調整の効果を理解していない層があまりに厚いことを、先日の架線柱事故で目の当たりにして、暗澹たる気分になった。
山手線のような単純なループで、列車間隔が開いてしまった時に、破滅を防ぐ方法は開いてしまった間隔を詰める、つまりその間隔の前にいる列車を遅らせること以外に思いつかない。基本の基本を忠実に実行しているだけなのに、それを非難する人の余りの多さ。
間隔が開いてしまった原因が鉄道側にあるなら、そこを非難したらよい。しかし、それが利用者側にある場合に、なぜ鉄道会社を非難できるのだ? 回復のために努力している人達を。

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